第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……されど、一徳斎殿。あの行人包が偽者だとしても、われらの眼前にいるのが越後勢の後詰であることに相違はありませぬ。あの旗印は、直江大和守のもの。犀川の畔で味方の退路を確保しているのでありましょう。あれを叩けば、残りの越後勢から退路を奪うことができまする」
「ならば、ぐずぐずはしておられぬ。一気に潰すしかあるまい」
二人の将は戦況の確認をしてから、それぞれの隊に突撃の命を下した。
この時、甘粕景持が逃げ込んだ直江景綱の一隊は、丹波島と小市(こいち)の渡しのちょうど中間にいた。どちらの渡しからでも越後勢が撤退できるようにするためだった。
装束を血に染めた甘粕景持が、直江景綱に駆け寄る。
「大和守殿、退陣の触れは伝わっておりまするか?」
「伝わっている。すでに村上(むらかみ)隊が渡河し、善光寺横山(よこやま)へ向かっておる。義清(よしきよ)殿がかなりの深手を負っていたゆえ、いち早く退いてもらったのだ。されど、景持。そなたは大丈夫なのか?」
景綱は眉をひそめて血に染まった胴肩衣(どうかたぎぬ)を見る。
「掠(かす)り傷にござりまする。武田の寄手(よせて)があまりにも多かったゆえ、少々、退くのに手間取りましたが……」
甘粕景持は強(こわ)ばった笑顔で答える。
「それがこちらへ向かっておるのだな?」
「三軍で万に近き軍勢と見え、その中には敵の赤備衆もおりました」
「赤備衆まで!?……ならば、ここが踏ん張りどころであるな」
直江景綱は眦(まなじり)を決して前方を見据えた。
その二人のもとへ、味方の騎馬隊が駆け込んでくる。
「御注進!」
宇佐美定勝が駒の背から飛び下りる。
「大和殿、ただいま柿崎殿の隊が敵勢と交戦しながら、丹波島で撤退しようとしておりますが、武田勢の猛追により渡河さえままなりませぬ。さらに、敵の加勢が現れ、こちらの後詰と完全に分断されておりまする」
その報告を聞き、直江景綱と甘粕景持が顔を見合わせる。
「まずいな……」
景綱が眉をひそめて呟く。
「ところで、定勝。御屋形様とそなたの父上は、いかがいたした? 一緒に退陣したのではなかったのか?」
「……それが」
「どうした。申してみよ」
「御屋形様はわずかな馬廻衆だけをお連れになり、敵陣をひと駆けしてから、すぐにこちらへ合流なさると仰せになられまして……」
「わずかな馬廻衆だけで敵陣をひと駆け、だと!?」
直江景綱は驚きながら、甘粕景持の顔を見る。
─―そなたは知っていたのか、景持?
そんな視線だった。
甘粕景持は口唇をへの字に曲げ、微(かす)かに俯(うつむ)く。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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