第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
七十七
戦いの潮目は、完全に変わった!
武田義信(よしのぶ)は犀川の方角へ動き始めた越後勢を追いながら、形勢逆転の手応えを強く感じ取っていた。
─―あとは敵を掃討するだけ! これまでの鬱憤を、すべて晴らさせてもらうぞ!
苦戦に耐えてきた武田勢の第二陣が攻勢に転じた。
「すでに、われらの方が優勢となった! 怯(ひる)むな!」
義信は残った先陣の兵をまとめ直し、さらに越後勢の背後を突こうとする。
敵方はこれまでの勢いが消え失(う)せており、龍蜷車懸(りょうげんくるまがかり)という慣れない戦法を使ったせいで陣形も大きく乱れている。
「今こそ、味方の仇を取るのだ! 一人として川の向こうへ渡らせるな! 行くぞ!」
愛駒の手綱を煽り、川縁へ走っていく敵を追った。
背中を見せた越後勢は、すでに逆転を確信した武田勢に敵(かな)うはずがなく、義信の第二陣は大川(おおかわ)高重(たかしげ)や志駄(しだ)義時(よしとき)といった大将首をはじめとして多くの敵を討ち取る。
─―このまま相手を押し切り、景虎の首を討ち取る!
武田義信はさらに軍勢を押し出す。
一方、八幡原(はちまんばら)の北側にある丹波島の手前では、香坂(こうさか)昌信(まさのぶ)の一隊が渡河しようとする柿崎(かきざき)景家(かげいえ)の一隊を捕捉していた。
緒戦で大きな戦果を上げた越後の柿崎隊は、早朝から戦い続けており、さすがに疲労の色が隠せず、兵数も一千を切るまでに減っている。
対する香坂昌信の奇襲隊は無傷の三千であり、敵の状態も見切っていた。
「相手は青息吐息ぞ! 畳みかけよ!」
優勢を自覚しながら猛然と攻めかかり、越後勢に渡河の機を与えまいと手を緩めない。
─―討死なされた道鬼斎殿のためにも、柿崎景家だけは生かして帰さぬ!
昌信も揺るぎない覚悟を持っていた。
「犀川へ押し込め! 川縁で止まった奴から討ち取るのだ!」
その命に従い、香坂隊が敵を押し込んでいく。
柿崎隊は犀川の畔までじりじりと後退しながら、かろうじて持ちこたえていた。
─―完全に戦況が逆転し、われらが劣勢に立たされている。何とか河を渡って善光寺へ辿り着かねば全滅もあり得る。されど、渡河の機が摑(つか)めぬ……。
柿崎景家もさすがに動揺を隠せない。
兵たちの士気が下がっていることは眼にも明らかであり、武田信繁に負わされた深手も含め、かなりの手傷を負わされていた。
すでに疲弊しきっていたのは越後勢の方であり、これまで何刻にもわたって築きあげてきた優勢が消え、いつのまにか敗勢へと傾いている。
─―この戦況を大和守(やまとのかみ)殿に伝えておかねば……。
景家は退陣を伝えにきた宇佐美定勝(さだかつ)を呼ぶ。
「定勝、そなたはひと足先に大和守殿の陣へ向かい、丹波島での渡河は危ういと伝えてくれ!」
「承知いたしました!」
宇佐美定勝は頷(うなず)く。
この若き将は、気骨の老将、宇佐美定満の嫡男だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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