第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
柿崎景家から新たな役目を託された宇佐美定勝は一隊を率い、西側にいる後詰(ごづめ)の大将、直江(なおえ)景綱(かげつな)のところへ向かう。
その四半刻(三十分)ほど前のことである。
馬場(ばば)信房(のぶふさ)は眼前の越後勢を猛追していた。
逃げる敵はたったの二百騎ほどに減っており、行人包で葦毛(あしげ)の駒に跨った甘粕(あまかす)景持(かげもち)がその先頭を走っている。
─―あれが景虎ではないとしても、逃げ廻る先に必ずや越後勢の退路がある。それを潰せば、われらの勝ちだ!
信房の視界に犀川の畔が入り、そこには別の一軍が見えてくる。
─―亀甲(きっこう)に花菱(はなびし)の旗印!?……確か直江大和守の紋。すると、あれが越後勢の後詰か!
新たな敵の存在を確かめた武田奇襲隊の将は冷静な命を下す。
「止まれ!」
その号令に従い、馬場隊の兵たちが足を止める。
「前方に新たな敵がいる! まずは陣形を整えよ!」
馬場信房の采配に従い、副将たちが率先して隊の形を立て直す。
眼前では、逃げていった越後勢の騎馬隊が犀川の一軍と合流していた。
そして、馬場隊が止まった場所へ、六連銭(ろくれんせん)の旗幟(きし)を押し立てた一隊が近づいてくる。
「民部(みんぶ)殿!」
八幡原の旗本から駆け付けた真田(さなだ)幸隆(ゆきたか)だった。
「おお、一徳斎(いっとくさい)殿」
味方の出現に、信房が安堵(あんど)した面持ちとなる。
「われら奇襲隊が戻ったと知り、敵の本隊は挟撃を怖(おそ)れて退陣を触れ廻っておる。われらは旗本で赤備衆と分かれ、こちらへ廻ってきた」
「一徳斎殿、御屋形様はご無事であろうか?」
「ご無事だ。少々、手傷を負われてはおるが……」
「御屋形様が手傷を!?」
馬場信房は驚愕の表情で訊く。
「……八幡原の本隊がそこまで追い込まれていたと?」
「敵の総勢にいきなり攻め寄せられ、だいぶ押し込まれたようだ。されど、もう心配はない。御屋形様の身辺は信廉(のぶかど)様や保科が守っている」
「ならば、今こそ景虎を挟撃する好機ではありませぬか」
「確かに、そうなのだが……」
真田幸隆が顔をしかめる。
「旗本にて、ひとつ奇妙な話を耳にした。御屋形様へ斬りかかったのが、一騎駆けにて現れた放生月毛の行人包であったというのだ」
「まさか、それが景虎だと!?」
「にわかには信じがたいのだが、旗本の者どもが口を揃(そろ)えてさように申した。されど、よくよく聞けば旗本だけではなく、そこかしこで月毛に跨った行人包が跋扈(ばっこ)している。おそらく、景虎は己の風評を逆手に取り、装束ひとつでわれらに詐術を仕掛けたのであろう。そなたが追っていた行人包も、おそらく影武者ではあるまいか?」
「おのれ、どこまでも武田を愚弄しよって……」
馬場信房が舌打ちする。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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