連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)22 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「されど、駿河守殿。そなたは何の権限があって、わが屋敷に踏み入ったのか?」
「それはさきほど申した通りだ。御屋形様がお留守になされている今、勝手に戦支度をして集まるのは、謀叛も同然の行動である。後事を預かる晴信様が詮議して当然であろう」
「後事を預かる? 晴信様が?……これは異な事を申される。留守を預かったのは、われらだと思うたが」
「それは武川衆の内々の話であろう。そなたらは土屋殿から一派の寄合を預かっただけだ。新府の留守を預かるのは、御屋形様の長男であらせられる晴信様ではないか。戯(たわ)けたことを申すな」
「戯けたことをなさっているのは、どちらの方かな。かようなことが御屋形様に知れたならば、ただでは済みませぬぞ。詮議で終わればよいが、処罰は免れますまい」
 飯田虎春はまだ強気だった。
「飯田、心配してくれるのはありがたいが、それには及ばぬ」
 晴信が冷静な口調で答える。
「御屋形様には、新府へお戻りになる前に御隠居していただくことにした。それに従い、土屋殿や柳沢(やなぎさわ)にも側仕(そばづか)えとして隠居してもらうことにした。残った武川衆の取りまとめは、元々の宗家である青木殿に頼むことにしたゆえ心配には及ばぬ」
「御屋形様が御隠居!?……何を申されるか。さように勝手なことが……」
「それがわれら兄弟と武田家家臣の総意なのだ」
 事もなげに言ってのけた晴信を、飯田虎春は愕然(がくぜん)としながら見つめる。
「何ということを……。おい、甘利、かようなことを言わせておいてよいのか。信繁様は……御屋形様が跡目とお認めになった信繁様のお立場はどうなる?」
「大きな声を出されますな、飯田殿。不服があれば、かような処(ところ)にはおりますまい」
 甘利虎泰が苦笑いする。
「甘利、それがしから、はっきりさせておこう」
 信繁が前へ歩み出て、飯田虎春を見つめる。
「飯田、以前より、そなたがこの身を高く評してくれたことには感謝いたす。されど、それがしは兄上を差し置いて武田を嗣(つ)ぐ気など毛頭なく、父上の御下命があろうともお断りするつもりだった。われらは兄上を新たな惣領(そうりょう)と仰ぎ、武田家の再建に尽力すると決めた。それゆえ、こうして、ここにいる」
「の、信繁様……」
「あと、もうひとつ。そなたが以前から兄上の廃嫡を軽々しく口にしていたことに対し、苦々しく思うていた。加えて、兄上をいかにも非才の如(ごと)く誹謗(ひぼう)中傷していたことは、弟として断じて許せぬ。兄上の力を見誤っている非才は、そなたの方だ。さような者に新たな惣領の家臣となる資格はない」
 信繁は皆が驚くほど断固たる口調で言う。
 飯田虎春は眼を見開いたまま絶句していた。
 晴信がさらに言い渡す。 
「そのようなわけで、そなたとここにいる者が素直に縄目を受ければ、この件は落着だ。武川衆が謀叛の嫌疑を受けることもなくなる。神妙にせよ」
 その言葉を聞き、飯田虎春は廊下に頽(くずお)れる。
「……手向かえば、命を奪うと」
「いや、生かして捕縛するだけだ。御屋形様の御隠居が行われた後に放免してやる。されど、甲斐に留まることは許さぬ」
 晴信は毅然(きぜん)と言い放った。
「……力尽くで御屋形様を御隠居させるなど……それこそ謀叛ではないか」
「飯田、これは謀叛ではない。われらは甲斐と武田一門の立て直しのために、無血での惣領移譲を目指しているだけだ。それが家臣の大方の望みであり、盟友となった今川(いまがわ)家の意向でもある」
「た、たとえ、無血で済んだとしても……謀叛には変わりない。少なくとも、そ、それがしは謀叛と見なす」
「構わぬ。甲斐の再建には、保身しか考えぬ、そなたの力は必要ない。そのような者が何を喚(わめ)こうと、それがしの決意は揺るがぬ」
 さすがにそこまで晴信に断言されると、飯田虎春も黙るしかなかった。
 この者に加え、柳沢貞興(さだおき)ら数名が捕縛され、躑躅ヶ崎館の牢に繋がれた。
 土屋一派の寄合に集まっていた者たちは、原(はら)昌俊(まさとし)と青木信種(のぶたね)の説得もあり、離反しなかった。こうして武川衆の分裂騒動は、ぎりぎりで回避される。
「若、これで後顧の憂いはなくなり申した。最後の仕事に取りかかりましょう」
 信方の言葉に、晴信も大きく頷(うなず)いた。
「急ぎ、万沢(まんざわ)へ出向こう」
 残るは最大の難関、父への面訴だけだった。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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