「有り難く頂戴いたしまする。義元殿には姉上だけではなく、父上までお世話になり、まことにかたじけなし。この御恩はいずれお返しいたしまする。晴信がさように申していたとお伝えくだされ」 「承りましてござりまする」 笑みをつくり、雪斎が頭を下げた。 ひと通りの口上が終わった後、盟約の存続についての確認が行われ、これまで以上に周密な連携を取ることが決められた。 「ところで、つかぬことをお伺いいたしますが、今後、武田家の家宰はどなたがなられるのでありましょうや?」 雪斎がさりげなく信方に視線を走らせながら訊く。 「これまでのような家宰は置きませぬ」 晴信は静かな口調で答える。 「……と、申されますると?」 「政と評定のあり方を刷新するため、従来の家宰という役は廃しまする。ここにおります板垣と甘利を執事に、原を奉行頭とし、家臣たちの合議によって執政の大筋を決めようと思うておりまする」 「ああ、なるほど」 「しばらくは領内の立て直しが、わが命題となりますゆえ、皆の意見を汲み上げることが肝心。そのためには、合議が重要であり、下命を伝えるだけの家宰など必要ありませぬ」 晴信はこともなげに今後の方針を語る。 「お見それいたしました」 感心したように、雪斎が頷く。 「もしも、雪斎殿のお相手として、わが名代が必要ならば、板垣または甘利に、ご連絡をくだされ」 「承知いたしました」 「あとひとつ、不躾ながら、こちらからのお願いがござる」 「何でありましょう」 「先ほど、目録を拝見した時、兵粮(ひょうろう)という項目がありましたが、それを種籾(たねもみ)にしていただくわけにはいきませぬか?」 「種籾?」 「さよう。今しばらくは戦を控え、内政を重く見ておりますので、兵粮よりは来年の作付けのための種籾の方がありがたい。領民たちにそれを分け与えることができるので。何とも、無粋なお願いで申し訳ないが」 「いいえ、仰せの通りにござりまする。気がつきませぬで、申し訳ござりませぬ。承って帰りまする」 「かたじけなし」 晴信は今川の使者に初めて笑みを見せた。