第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
北条氏康は表情も変えずに答え、盃を干す。
「せっかく、われらの盟約がなったのだ。この際、三家揃って上洛するというのも悪くはない。いかがか、大膳殿」
義元が薄く笑いながら訊く。
「当方も信濃(しなの)にひとつ大仕事が残っておりますゆえ、今は京へ上る余裕がござりませぬ」
晴信は静かな口調で答える。
「善光寺平(ぜんこうじだいら)のことであろうか?」
「さようにござる」
「聞くところによれば、越後(えちご)の長尾景虎が信濃へ出張ってきたとか。守護代の分際で身の程をわきまえぬ狼藉者(ろうぜきもの)よ」
「当人はすでに越後の国主を気取り、御主上(みかど/後奈良〈ごなら〉天皇)から治罰の御綸旨(ごりんじ)をいただいたと嘯(うそぶ)いているようにござる。何でも、その御綸旨には、越後隣国の仕置も許すと記されているとか、いないとか。いずれは国境(くにざかい)を接する上野にも出張ってくるのではありますまいか、左京大夫殿」
晴信の言葉に、初めて北条氏康が顔を向ける。
「当方は上野国にさしたる重きを置いておりませぬ。たまさか関東管領との争いになりましたゆえ、西上野の平井(ひらい)城まで出張りましたが、それ以上に北へ進む必要もないかと。今は武蔵(むさし)を安定させ、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、安房(あわ)を治めるのが先決にござる」
「なるほど。当家に参じた滋野(しげの)一統には吾妻(あがつま)を所領とする者たちもおり、上野とは縁がありますゆえ、何かご助力できることがあればと思うた次第」
「長尾景虎が治罰の御綸旨とやらを振りかざし、信濃や上野に出張ってくるならば、その時はこの盟約に従い、当方も加勢させていただきましょう」
氏康は外連(けれん)なく答えた。
晴信は己の意が通じ、北条家も長尾景虎の挟撃に賛成していると確信した。
それを見た今川義元が言葉を添える。
「大膳殿が信濃を制したならば、東山道(とうさんどう)から上洛する道が開けようて。われらが東海道を制し、同時に京を目指して義昭(よしあき)様をお助けいたすのがよいかもしれぬ。まあ、その前に三河(みかわ)、尾張(おわり)、美濃(みの)の小蠅(こばえ)どもを成敗しなければならぬのだが。左京大夫殿、尾張の織田(おだ)信長(のぶなが)というのは、いかなる漢であろうか?」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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