よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 笑みを含みながら、晴信は踵(きびす)を返す。武田義信もそれに従った。
 犀川の畔(ほとり)、丹波島から本陣のある大堀(おおほり)館へ向かいながら、晴信はこの合戦に至るまでの経緯を回想し始める。暦は天文二十四年(一五五五)四月十八日になっていた。
 発端は、晴信が越後に仕掛けた謀計にある。
 昨年の暮れも押し詰まった頃、跡部信秋が越後国刈羽郡の北条高広を調略し、長尾景虎に叛旗を翻させた。
 年が明けた一月の半ばに、景虎は上条(じょうじょう)城に援軍を送り、自らも春日山(かすがやま)城から出陣する。
 越後の主力が刈羽郡に張りつき、北条高広の成敗に乗り出した。
 その間隙を縫い、晴信は松本平(まつもとだいら)の深志(ふかし)城へ入った。
 塩尻(しおじり)宿の南西、木曾谷(きそだに)に根を張る木曾義康(よしやす)の攻略を行うためである。
 東美濃の遠山家が臣従してきたことを受け、伊那郡から木曾家の勢力を排除し、三州(さんしゅう)街道という塩の道にある要衝、塩尻宿を完全に押さえるためだった。
 その深志城へ、小県(ちいさがた)の砥石(といし)城から真田(さなだ)幸綱(ゆきつな)が駆けつける。
「御屋形様、お取り込み中、失礼いたしまする。懼(おそ)れながら、火急にて、お伝えしたき件がござりまして」
「何であるか、真田」
「実は、屋代(やしろ)正国(まさくに)が当方に面白き者を連れてまいりました」
「面白き者?」
 晴信が眉をひそめる。
「はい。善光寺の別当職、栗田(くりた)寛久(かんきゅう/鶴寿〈かくじゅ〉)にござりまする」
「善光寺を統轄する頭人(とうにん)か」
「さようにござりまする。この者は元々、村上(むらかみ)の一族でありましたが、北信濃の縁者を捨てて越後へ逃げた義清(よしきよ)を見限り、武田家へ鞍替(くらが)えできぬかと屋代正国に泣きついてまいりました」
「なるほど。それは、なかなかに面白き話やもしれぬな」
「善光寺は諸国からの寺参りで賑(にぎ)わっており、門前町の座も栄えておりまする。善光寺参りの落とし銭は相当なものとなり、栗田寛久はそれを牛耳る俗別当(ぞくべっとう)にござりまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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