第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
晴信の言葉に、思わず飯富虎昌が頭を搔(か)く。
「……いや、それは、その」
「横にいた義弟の綱成(つなしげ)も、なかなかのものであったな。熱気が横溢(おういつ)しておった」
「……はぁ」
「無駄に萎縮することはないが、相手を侮らず、まっすぐに受け止めることは大事だ。まったく性質は違えど、二人とも並の器量ではなかった」
まるで己に言い聞かせるかの如く、晴信が呟(つぶや)いた。
そして、甲斐の府中へ帰還してから、しばらくして「嫡男に公方の座を譲った足利晴氏が相模(さがみ)の秦野(はだの)に幽閉された」という風聞が流れてくる。
――京の公方に梅千代王丸殿の元服が認められたということか。北条氏康、やることに寸分の隙もない。しかも、この疾(はや)さ、容赦のなさ、敵には廻したくない漢だ。
晴信は改めて北条氏康の刀瘡を思い出していた。
善得寺での会盟を経て、晴信は息子、武田義信の初陣を兼ね、佐久(さく)郡、伊那(いな)郡、木曾(きそ)郡に残った敵対勢力を鎮圧し、南信濃を固めた。
この時、東美濃に根付いていた遠山(とおやま)家も武田家に臣従を申し出てくる。これも三家の盟約がもたらした僥倖(ぎょうこう)だった。
しかし、東美濃の遠山七家が傘下に加わったことで、美濃を支配する斎藤(さいとう)道三(どうさん)と義龍(よしたつ)の父子との緊張が一気に高まる。信濃の国境を接する美濃、三河の勢力を無視できないことは織り込み済みであり、今川家との連係でそれらを切り崩せる目論見は立っていた。
師走(しわす/十二月)に入ると、娘の於梅(おうめ/黄梅院〈おうばいいん〉)が北条氏康の嫡男、氏政(うじまさ)に輿入(こしい)れする。甲斐の府中に盛大な門火(かどび)が焚(た)かれ、晴信の息女を送り出した。
そして、暮れも押し詰まった頃、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が朗報を届けにくる。
「御屋形様、越後の北条(きたじょう)高広(たかひろ)を落としました」
「まことか!」
「はい、刈羽(かりわ)郡の北条城にて叛旗(はんき)を揚げるとのことにござりまする」
「よくやった、伊賀守(いがのかみ)。このことは小田原(おだわら)の氏康殿にも伝えておいた方が良さそうだな」
晴信は駒井(こまい)政武(まさたけ)に命じて小田原城へ書状を届けさせた。
――そして、もうひとつの仕掛けも着実に進んでいる。景虎が越後の内紛にかまけている間に、必ずや善光寺平を制してみせる。
予想通り、武田、今川、北条の盟約により、近隣の情勢は一変した。
すでに晴信は善光寺平の制覇を見据えていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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