よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「父上と氏康殿の間では、西上野は切り取り放題という約定が交わされていると聞いた。されど、長野業正と箕輪衆を排除せぬ限り、切り取り放題も何もなかろう。しかも、関東管領の背後には長尾景虎がおり、当然のことながら関東管領の残党とも通じているはずだ。されど、上野と信濃の双方に長尾景虎を引っ張りだせれば、越後勢の兵力は必ず分散する。こたびの戦は、盟友の北条家を助けるだけでなく、信濃一国の制覇にも大きな扶(たす)けとなるはずだ」
 義信が眦(まなじり)を決して言う。
 馬場信房や内藤昌豊が大きく頷いた。 
 ――若は大きく成長なされた。
 飯富虎昌は誇らしげに義信の横顔を見る。
 ――眼前の戦に捉われるだけでなく、いま武田家が何をすべきかということを鷹(たか)の如き眼で把握されている。これはまさしく御屋形様が日頃からなされていることだ。
 そこに大道寺政繁が現れた。
「そろそろ評定を始めたく存じまする。皆様方、大広間の方へお越しくださりませ。どうぞ、こちらにござりまする」
 政繁の案内で、義信たちは大広間へ向かった。
「あちらの席へどうぞ」
 大道寺政繁は上座側を示す。
 援軍に来てくれた武田家への敬意をこめて上座を譲ったようだ。
 北条綱成をはじめとする河越衆たちは、対面の下座側に勢揃いしている。
「それでは、まず現況からご説明させていただきまする。大地図をこれへ」
 綱成の命を受け、小姓たち四人が四畳はあろうかという大地図を運んでくる。
「北条氏康が家臣、多目周防守(ためすおうのかみ)、元忠(もとただ)と申しまする。では、僭越(せんえつ)ながら箕輪城から西上野にかけての状況を説明させていただきまする」
 多目元忠が地図上を指しながら話を始める。
「長野業正の本拠地であります箕輪城は、榛名山(はるなさん)の裾野にある蓑郷(みのさと)に位置し、この鉢形城からは北東に十一里(四十四㌔)の距離にありまする。武蔵と上野の国境にある関東管領の元本拠地、平井(ひらい)城からはちょうど半分の距離となりまする。されど、箕輪城に至るまで国境に沿って関東管領旧臣の城が東西にわたって点在しており、その構えも並のものではありませぬ。われらが平井城を攻略してしてから、その近隣にあった多比良(たいら)友定(ともさだ)の新堀(にいぼり)城(多比良城)、白倉(しらくら)道佐(みちすけ)の麻場(あさば)城(白倉城)、甘尾若狭守(あまおわかさのかみ)の天引(あまびき)城などを攻め落とし、多比良と白倉は長野業正を頼って箕輪城へ逃げました。甘尾若狭守はわれらに降り、天引城は北条の足場となっており、そのすぐ西に国峯(くにみね)城がありまする」
「小幡(おばた)憲重(のりしげ/重定「しげさだ」)の居城か……」
 義信が呟く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number