よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「前(さき)の御主上(おかみ)であらせられました後奈良(ごなら)天皇様が御崩御なされましたのは、昨年の九月五日のことにござりまする。その後、すぐに第一皇子の方仁(みちひと)親王(正親町天皇)様が御践祚(ごせんそ)なされましたが、宮中も朝廷も貧窮の極みにあり、御今上の御即位の儀につきまして、まったく目処(めど)が立たぬ有様でありました。殿下も御践祚と御即位の違いについてご存知だとは思いますが……」
 広橋兼秀の言葉に、近衛稙家が小さく頷(うなず)いた。
「……殿下、その違いとは?」
 足利義輝が訊く。 
「上様、桓武(かんむ)天皇様の御代(みよ)以後、朝廷では御践祚と御即位が区別され、皇位の象徴である三種の神器を受け継ぐことを践祚、皇位に就かれることを天下に布告することを即位というようになりました。御践祚は先帝が御崩御なされた時にすぐ行えますが、御即位となれば、威儀を糺(ただ)した礼式が必要となりまする。そうした違いにござりまする」
「殿下、ご丁寧な説明を有り難うござりまする」
 広橋兼秀が一礼してから、言葉を続ける。
「年が明けても、御今上の御即位の目処が立たず……恥ずかしながら、御即位の礼を挙げる費用の工面ができず、さりとて御主上を空位にするわけにもいかず、せめて代始(だいはじめ)改元を行って御今上の御即位を言祝(ことほ)いではどうかという案が出されました。まったくもって苦肉の策にござりまする」
 改元はいくつかの理由によってなされるが、代始改元は君主の交代を祝うため元号を改める。
 もちろん、御主上だけでなく、幕府の将軍が代わった時にも代始改元が行われた。
 他にも、吉事を理由とする祥瑞(しょうずい)改元、凶事を断ち切るための災異(さいい)改元、革令(甲子〈きのえね〉の年)革運(戊辰〈つちのえたつ〉の年)革命(辛酉〈かのととり〉の年)の三革を区切りと見なして行う革年改元などがある。
「代始改元を御即位の礼の代わりにするというのは、朝廷を預かる者として、まことに恥ずかしく思いまするが、天下に御今上の代替わりを伝えるためには、それしか手立てがありませなんだ。その時、公方義輝様と幕府にご相談できなかったことは、われらの失態であり、重ねて深くお詫びを申し上げまする。どうか御立腹を収めていただき、御今上の御即位のために改元を御追認いただけませぬでしょうか」
 広橋兼秀は再び深々と頭を下げた。
「いかがにござりまするか、上様?」
 近衛稙家が義輝に確認する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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