第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
五十七
永禄二年(一五五九)正月、朝廷が御今上(正親町天皇)の代始が安寧であることを祈念して改元したにもかかわらず、諸国では旱魃(かんばつ)が続いていた。
弘治年間からの雨不足で飢饉(ききん)が発生し、甲斐や信濃の地も例外ではなく、民百姓は五穀の収穫を失っている。
一月十一日、いつになく重苦しい雰囲気の中、躑躅ヶ崎館で評定始めが行われた。
冒頭で、晴信が身辺について話をする。
「昨年から京の周辺が何やら騒がしい。公方の足利義輝殿が反目していた三好長慶と和睦し、都へ戻って幕政を再開したようだ。さらに朝廷では御今上の代始があり、即位の礼が行われる。それゆえ、当家にも朝廷から女房奉書、幕府から御内書が届いた。共に、余の上洛を促す内容だ」
主君の言葉に、一同がどよめく。
「今川義元殿からは、一緒に上洛せぬかと打診があった。その他にも、本願寺法主の顕如光佐(こうさ)からも書状が届き、一緒に京の都で御今上に拝謁しませぬかという誘いがきた。顕如は御方の妹である如春尼(にょしゅんに)を娶(めと)り、当家とは親戚となった。さらに、本願寺は御今上の綸旨により本年中に門跡となるらしい。加賀と越中の一向一揆が越後の長尾景虎と敵対している以上、本願寺との関係は密にしておいた方がよかろう。女房奉書や御内書は諸国の武家へ出回っているゆえ、浮き足立って上洛する者もさぞかし多かろう。都の威光に弱い景虎の如くな」
皮肉交じりの笑みを浮かべ、晴信が言った。
「御屋形(おやかた)様、いよいよ上洛なさりまするか?」
重臣筆頭となった飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)が一同を代表して訊く。
「上洛か」
晴信が真顔になる。
「せぬ!」
きっぱりと言い切った。
「かような時期に浮かれて上洛するほど、余は暇ではない。それよりも解決せねばならぬ問題が目先に山積している。ただし、幕府や朝廷に対し、上洛せぬという返事は送らぬ。あくまでも上洛を考慮しているという旨を伝え、余の信濃守護職の補任を長尾景虎に認めさせ、越後からの不可侵を幕府から命じてもらうよう返答している。それにより信濃一国統治の大義名分が揃う。上洛を考えるのは、それが終わってからでも遅くはなかろう」
晴信は上洛の要請を徹底して信濃制覇に利用するつもりだった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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