よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「畏(かしこ)まりました」
 長坂光堅が諏訪御寮人の寝所へ行き、侍女や薬師(くすし)を下がらせた。
 信玄が枕元に座り、軽い寝息を立てている諏訪御寮人の頰に掌を添える。
「於麻亜(おまあ)……」
 その呼びかけに、諏訪御寮人がうっすらと眼を開けた。
「……御屋形様」
 軆(からだ)を起こそうとするが、信玄はそれを制止する。
「そのままでよい。楽にしておれ」
「……はい」
「でかしたぞ、於麻亜。しばらく、この城に留(とど)まるゆえ、少し元気になったならば、話をしよう」
「はい」
「では、ゆっくり休め」
 信玄は諏訪御寮人が再び眠りに落ちるまで頭を撫(な)で続けた。
 それから、齢十四になった諏訪四郎と面会する。
「父上、お久しゅうござりまする」
「四郎、息災であったか?」
「はい」
「そなたもいよいよ前髪立ちが取れ、来年には元服だな。正式に諏訪の名跡を嗣(つ)ぐことになるゆえ、いっそう精進せよ」
「承知いたしました」
「母も大変な時ゆえ、余がおらぬ時には、そなたが支えてやらねばならぬ。しっかりと孝行せよ」
「肝に銘じておきまする。……父上、いつまで御逗留(ごとうりゅう)なされまするか?」
「案ずるな。母が元気になるまで留まる。そうだな、弓の腕前を見たいゆえ、狩りにでも出るか」
「まことにござりまするか!?」
 四郎は瞳を輝かせる。
「まことだ。保科(ほしな)も連れていき、三人で競おうぞ」
 信玄も笑みを浮かべて答えた。
 それから、諏訪御寮人も快方に向かい、親子水入らずの時を過ごす。
 高島城で久しぶりの休息を取りながらも、信玄の双眸(そうぼう)は北信濃での新たな一手を見据えていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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