よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「なるほど。さすがは御屋形様」
 飯富虎昌が唸(うな)る。
「されど、祝いの品と寄進ぐらいは必要であろう。政武(まさたけ)、朝廷と幕府への贈物を目録にしておいてくれ」
 晴信が駒井(こまい)政武に命じる。
「承知いたしました」
「さて、本題に入ろう。旱魃による不作が続いているゆえ、しばらくは無用な戦を避け、内政に力を入れねばならぬ。民百姓に種籾(たねもみ)が行き渡るよう手配りし、場合によっては徳政令が必要となるやもしれぬ。各々、貯(たくわ)えに怠りなきよう頼む。次に、甲斐善光寺への如来像入仏の件だ。三度目の戦いの後、景虎は腹いせに善光寺の寺宝を越後へ持ち帰り、直江津(なおえつ)に如来堂を建立したらしい。されど、あの者が間抜面で持ち去ったのは、善光寺如来の本尊像ではない。本尊像は二度目の戦いの時に、善光寺別当職の栗田(くりた)寛久(かんきゅう)が持ち出し、佐久(さく)郡禰津(ねつ)に移してあった。その本尊がいよいよ板垣郷(いたがきごう)の甲斐善光寺へ安置されることになった」
 晴信が言ったように、甲斐善光寺は昨年、府中の板垣郷に創建され、開山は信濃善光寺の大本願三十七世、鏡空上人(きょうくうしょうにん)によって行われている。
 栗田寛久が密かに持ち出し、佐久郡禰津に保管されていた大御堂本尊の善光寺如来像がやっと甲斐善光寺へ移されることになったのである。
 これに際し、栗田寛久も別当職として板垣郷に移住し、大下条(おおしもじょう)に在国領を与えられることになった。
「信廉(のぶかど)、入仏の予定はいつになっている?」
 晴信は下の弟の武田信廉に訊く。
「二月の二十六日にござりまする。手配りは抜かりなく進んでおりまして、入仏の儀式は滞りなく行えるかと」
「さようか」
 満足そうに頷きながら、晴信が言葉を続ける。
「実はこれを機会に、余は薙髪(ちはつ)し、入道しようと思うておる」
 それを聞いた家臣たちは、狐につままれたような面持ちになる。
 薙髪とは、髻(もとどり)を切ることだった。
「……兄上、いま入道と申されましたか?」
 信繁(のぶしげ)が半信半疑で聞き返す。
「さようだ。これまでの首供養も含め、入道することにした」
「まことにござりまするか!?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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