第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
引磬は椀(わん)の形をした小鐘の底に穴を開け、紐(ひも)を通して木や竹の柄をつけたものであり、細い鉄の棒で打ち鳴らす。
それからしばらくして、再び引磬と殿鐘が交打された。
大導師上殿の支度が整ったことを知らせる副堂からの三会目の打ち切りだった。
――いよいよ御師様が上殿なされるか。
晴信は瞑目(めいもく)したまま気息を整える。
今回の大導師である岐秀元伯が本堂へ上った後は、本尊前に香を奉った後、大衆と共に三拝が行われる。さらに灑水(しゃすい)と呼ばれる加持香水(かじこうずい)を注ぎ、煩悩や垢穢(くえ)を除く浄めの儀礼が厳かに執り行われた。
それから、やっと晴信が禅堂へ入ることのできる「受者上殿の儀」となるのである。
「どうぞ、御本堂へ」
迎えにきた隠侍(いんじ)に導かれ、受者である晴信が本堂へ向かった。
隠侍とは、日頃から師家に仕え、日常の世話をする侍者(じしゃ)のことである。
本堂には前門と後門の二つの出入口があり、前門には僧堂内の指導と監督を行う首座(しゅざ)の直日(じきじつ)がおり、後門には世話役である侍者寮頭(りょうがしら)が坐っている。
僧堂内の両側は一段高くなって畳が敷かれており、既に久参(きゅうさん)の雲水たちが塑像の如く微動だにせず坐っている。そこが修行者に与えられる単(たん)だった。
前門まで進むと、正面にある厨子(ずし)には聖僧(しょうぞう)様と呼ばれる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が祀(まつ)られており、ここで五体を投地し、礼拝をする。禅堂は慄然とした静寂に包まれており、晴信ですら周囲に充ちる気に圧倒された。
「受者、参堂!」
侍者寮頭から発せられた声が、朗々と堂内に響き渡る。
それを合図に法衣の擦(こす)れる音が響く。両側に居並ぶ行者たちが一糸乱れぬ所作で低頭していた。
実に厳粛な光景だった。
大導師である岐秀元伯が奉請を行い、礼讃文(らいさんもん)を読み上げる。そして、ついに剃髪(ていはつ)の儀となった。
晴信の場合は武士の入道なので、大導師が直々に髷を切る薙髪が行われる。
「そなたが初めての相見をしてから、かれこれ三十年。ついに、この日がやってまいりました」
岐秀禅師が背後から静かな声をかける。
「はい」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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