よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「朝廷からも上洛の要請をと?」
「さようにござりまする。御今上即位の儀となれば、それなりの費用もかかるでありましょうし、内裏の修繕なども必要ではありませぬか。また、後奈良天皇様の法要を行う費用も工面しなければなりますまい」
「……確かに、殿下の申されるとおり」
 広橋兼秀が渋い表情で頷く。
 この話を持ち出した元太政大臣の狙いが、手に取るようにわかっていたからである。
「上様、われらとしても、この法華堂を仮の御座所としているわけにはまいらぬゆえ、新たな御柳営を建設するための寄進なども必要となりまする。この際、宮中から女房奉書など出していただき、御内書と合わせて上洛を募るのが肝要かと存じまする。御今上への拝謁と上様への謁見が同時に叶(かな)うとなれば、多くの有力な守護や大名たちが上洛を考えるのではありますまいか」
 近衛稙家の目論見は明白だった。
 幕政の再開に際し、諸国の有力な守護や大名を取り込むために、御今上の即位の儀までも利用しようという狙いである。
 朝廷と幕府が一緒に動けば、上洛してきた守護や大名たちに新たな官位官職などを与えることも容易であり、それだけ寄進も募りやすくなるはずだった。
 だが、近衛稙家の申し入れは、朝廷の者たちにとっても理に適(かな)っている。
 宮中と朝廷の窮状を鑑みれば、逼迫(ひっぱく)した財政の建て直しを図るには、諸国の有力な守護や大名からの寄進が不可欠であった。
「われらと朝廷が一緒に通達を行うとして、左京大夫(さきょうのたいふ)殿、誰が適任であろうか?」
 近衛稙家が執事役の六角義賢に訊ねる。
「取次役には大舘(おおだち)晴光(はるみつ)がよいのではありませぬか。かの者ならば新田(にった)家の縁者ゆえ、西国、南国だけでなく、広く坂東(ばんどう)にまで顔が利きまする」
「さようか。では、内府殿。女房奉書についてはどなたが?」
「女房奉書は……」
 広橋兼秀が渋面(しぶづら)で息子の国光を見る。
 女房奉書とはその名の通り、女房すなわち匂当内侍(こうとうのないし)や典侍(てんじ)が天皇や上皇の叡意(えいい)を伝えるため発行する文書である。
 詔勅のような公式の文書ではないが、仮名交じり散らし書きの様式にし、より叡意が生々しく伝わるようになっていた。
 場合によっては、女房(匂当内侍または典侍)ではなく、命令を受けた公卿(くぎょう)や上卿(しょうけい)が端裏に「仰(おおせ)」と書き、年月日を記して書状にさらなる権威を付与したものもある。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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