第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)9
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「御師様にお願いし、内々に進めてきたことだ。飢饉が早く終熄(しゅうそく)することも祈念し、来月に得度の式を行う。もしも、そなたらの中でも入道したい者がいるならば、遠慮せずに申し出よ。御師様に導師をお願いしておく」
幼少の頃からの師である長禅寺(ちょうぜんじ)住職の岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)に、晴信は仏門への入道を導びいてもらうと決めた。
これは家臣たちにも内緒にしていた話であり、一同は驚きのせいで絶句していた。
晴信が出家するということは、暗に代替わりを示唆したということである。
武田義信(よしのぶ)はひときわ緊張した顔で父を見つめていた。
「……御屋形様」
原(はら)虎胤(とらたね)が手を挙げる。
「それがしも、ご一緒させていただけませぬか」
「鬼美濃(おにみの)、まことか。臨済(りんざい)宗の得度であるぞ」
「ご一緒させていただけるならば、宗派は何でもかまいませぬ」
原虎胤は五年ほど前に宗旨の問題で晴信から蟄居(ちっきょ)を命じられたことがあった。
浄土宗に深く帰依(きえ)していた虎胤に、晴信が日蓮(にちれん)宗への改宗を進めたところ、この者は怒って出仕を拒絶したのである。
晴信が仕方なく「鬼美濃に蟄居を命じた」と家中で体裁を繕ったところ、原虎胤は甲斐を出奔して相模(さがみ)の縁者を頼り、当時は敵方であった北条家に身を寄せた。
しかし、善得寺(ぜんとくじ)の会盟で北条家との縁組が決まった際、原虎胤は晴信とも和解し、帰参を許されたという経緯があった。
「では、鬼美濃。御師様にお願いしておく」
「ならば、儂(わし)もお願いいたしまする」
小幡(おばた)虎盛(とらもり)も大きく手を挙げる。
「……鬼虎、そなたもか」
晴信も驚きを隠せない。
小幡虎盛も先代から仕える猛将であり、原虎胤の「鬼美濃」と並び、家中で「鬼虎」と称される剛の者である。大永(だいえい)元年(一五二一)に、今川家の福島(くしま)正成(まさしげ)が甲斐へ攻め込んできた時、小畠虎盛は原虎胤と共に先鋒として最前線を担って戦っていた。
大永元年は、まさに板垣信方(のぶかた)に守られながら、晴信が要害山(ようがいやま)で誕生した年である。
「御屋形様と鬼美濃殿が髪をおろされるというのならば、儂もそれに倣いたい。是非に、お願いいたしまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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