よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 その後、越後勢は沼田城を落とした余勢を駆り、逃げる北条勢を追いながら岩下(いわした)城、厩橋(まやばし)城を攻略した。
 一連の続報を受け、氏康は全軍に命じる。
「敵城の包囲を解き、武蔵(むさし)まで撤退するぞ!」
 あっさりと久留里城の攻略を諦め、そのまま北条勢を率いて武蔵まで退く。
 それから全軍を率いて河越城へ向かい、ここで状況を確認してから、北条氏秀が退却した松山城へ入った。
 これが永禄(えいろく)三年(一五六〇)十月のことである。
 厩橋城に入った景虎は、そこを拠点にして上野の長野(ながの)業正(なりまさ)らの援軍を伴い、年末までに小川(おがわ)城、名胡桃(なぐるみ)城、明間(あけま)城、白井(しろい)城、那波(なわ)城など、北条方の諸城を続けざまに攻略した。
 事ここに至り、氏康はこれまでとは違う長尾景虎の戦意を感じ取る。明らかに、過去の戦構えとは違っていた。
 ――今川家の敗北を知り、われらの同盟が揺らいだと見て、何かを狙うておるのか?……あるいは、新たな後盾でも得て、坂東へ触手を伸ばしてきたのか?
 違和感を覚えた氏康は、松山城から主要な城へ指示を出し、籠城も視野に入れた対策を取るように命じる。
 それから武蔵、相模(さがみ)の城を経由しながら、本拠地の小田原城へと帰還した。
 そして、越後勢に対する最大限の警戒態勢を取りながら年を越したのである。
 だが、長尾景虎と越後勢は上野の諸城を落とした後、厩橋城に留(とど)まったまま動きを止める。まるで援軍でも待つような気配だった。
 それを訝(いぶか)しく思った氏康は、すぐに風魔(ふうま)小太郎(こたろう)を呼ぶ。
「小太郎、厩橋城へ間者(かんじゃ)を放ち、長尾景虎の動きをつぶさに探ってくれぬか」
 それを聞いた風魔小太郎は白面童子(はくめんどうじ)のような顔で薄く笑う。
 この漢(おとこ)は北条家の諜知(ちょうち)を一手に引き受けている風間谷(かざまだに)の忍び頭(がしら)だった
「さような命が下るのではないかと思い、すでに猪助(いすけ)ら十名ほどを行かせてありまする。これまで南上総(みなみかずさ)と安房(あわ)に廻(まわ)していた手の者たちも上野と越後へ向かわせましてござりまする」
「相変わらず手際が良いな」
 先回りされた氏康が苦笑する。
「大御屋形(おおおやかた)様のお考えは、お見通しにござりまする。……いや、やはり、大御屋形様という呼び方は、どうも馴染(なじ)まぬなぁ。早ばやと隠居などなされるから、かようなことになるのだ」
「仕方があるまい。飢饉(ききん)のせいで徳政令を出す必要があったのだから。隠居と代替わりぐらいの大義名分がなければ、借銭を棒引きされる貸方どもが納得するまい」
「……確かに、仰せの通り。されど、それがしはこれまでと同じく『親方(おやかた)』と呼んでも構わぬか?」
 風魔小太郎と氏康の出会いは、十代の頃であった。
 この漢が北条家の傘下に入ることになってから、すでに三十年も経っていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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