よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   六十四 

 長尾景虎が十万余の坂東勢を糾合。
 信玄がこの一報を受けたのは、永禄四年(一五六一)二月終わりのことだった。
 時を同じくして北条家から火急の援軍要請が届き、すぐに弟の信繁(のぶしげ)を呼ぶ。
「またぞろ景虎が坂東で訳のわからぬ戦を仕掛けたようだ」
 信玄が蓼(たで)の葉を嚙(か)んだような面持ちで言う。
「それがしも聞きました。関東管領どころか、京の関白まで引っ張り出し、北条家に対抗する坂東勢を集めたとか」
「氏康殿も河越城の悪夢が甦る思いであろうよ。景虎は関東管領のために上野と武蔵の諸城を取り返すつもりか。ともあれ、今川家に続いて北条家まで痛手を負えば、われらとて安穏とはしておられぬ。とりあえず、援軍を出すしかあるまい」
「ならば、武蔵に近い東部郡内から兵を出しましょう。北条家との取次も行うている信有に援軍の編制を命じとうござりますが、よろしかろうか」
 信繁は甲斐東部、郡留(つる)郡の譜代家老衆である小山田信有(桃隠)を指名する。
「それがよかろう。されど、一度の援軍では済まぬやもしれぬ。二の矢も考えておいた方がよかろう」
「承知いたしました」
 信繁から北条家の援軍を任された小山田信有は、家臣の加藤景忠と跡部長与に二千ずつの兵を与えて送り出す。
 郡留郡の岩殿山(いわどのやま)城を出立した二隊の武田勢援軍は、甲州街道を進んで小仏峠を越え、北条家の内藤(ないとう)康行(やすゆき)が待つ津久井城へと向かい、武田家は盟約を果たした。
 だが、三月の中旬に差しかかると、景虎の本隊が坂東勢を引き連れて東海道の中郡中筋(大磯)へと到着したという知らせが届く。
 ここに至り、信玄は景虎の狙いが武蔵の諸城奪還ではなく、北条家の本拠地、小田原城であると確信した。
 ――いったい、いかなる戦構えなのだ? 景虎は本気で北条家を潰すつもりか?
 そう考え、信玄は信繁と跡部信秋(のぶあき)を呼ぶ。
「氏康殿は嫡男と小田原城で籠城の構えだ。景虎と坂東勢を攪乱(かくらん)するために、信繁、そなたが出陣してくれぬか」
「畏(かしこ)まりました」
「とりあえず三千を率いて富士吉田(ふじよしだ)まで出張り、様子を見てくれ。伊賀守(いがのかみ)、そなたは小田原から相模一帯に乱破(らっぱ)を放ち、信繁が総大将となり、武田が小田原城へ一万余の援軍を送ったという風聞をばらまいてくれ。樹上開花(ずじょうかいか)の計だ」
 樹上開花の計とは、文字通り「樹の上に花を開(さか)す」という意味であり、「小勢を大兵力に見せかけて敵を欺く謀計」のことである。
 武田家で信玄に次ぐ信繁が総大将となれば、三千の兵であっても虚報によって一万余に見せかけることができた。
「承知いたしました。武蔵にまで聞こえるよう虚報を飛ばしまする」
 跡部信秋が頷く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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