よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 ――日頃はふてぶてしい小太郎がこれだけの心配事を口にするのであれば、この戦は一筋縄ではいかぬな。信玄殿には、早々に信濃からの挟撃を頼んでおいた方がよいかもしれぬ。
 氏康はそう思いながら、慎重に事態の推移を注視した。
 ところが、永禄四年(一五六一)の正月も終わりを告げ、暦が如月(きさらぎ/二月)の半ばに入った頃、思わぬことが起こった。
 なんと長尾景虎と近衛前嗣の檄(げき)に応じて参集した坂東勢が、十万にも達するほど膨れ上がったのである。
 風魔小太郎から報告を受けた氏康は愕然(がくぜん)とする。そして、そこまでの事態を想定していなかった北条勢の各城に激震が走った。
 いや、ただ一人、小太郎だけが、このようになることを予想していたかもしれない。
 風魔党の諜知によると、いわゆる関東管領の連合軍となった坂東勢は、次のような面々だった。
 上野国の長野業正が率いる箕輪(みのわ)衆を中心に、長尾憲景(のりかげ)の白井衆、斎藤(さいとう)憲広(のりひろ)の吾妻(あがつま)岩下衆、横瀬(よこせ/由良〈ゆら〉)成繁(なりしげ)の新田金山(にったかなやま)衆、佐野(さの)昌綱(まさつな)の桐生(きりゅう)衆。
 下野国では長尾当長(まさなが)が率いる足利衆、小山(おやま)秀綱(ひでつな)の小山衆、宇都宮(うつのみや)広綱(ひろつな)の宇都宮衆、佐野豊綱(とよつな)の唐沢山(からさわやま)衆。 
 武蔵国の成田(なりた)長泰(ながやす)が率いる忍(おし)成田衆、広田直繁(なおしげ)の羽生(はにゅう)衆、用土(ようど)重連(しげつら)の藤田(ふじた)衆、上杉房憲(ふさのり)の深谷(ふかや)上杉衆、太田(おおた)資正(すけまさ)の岩付(いわつき)衆、三田(みた)綱秀(つなひで)の勝沼(かつぬま)三田衆。
 上総国から酒井(さかい)敏房(としふさ)の東金(とうがね)衆、山室(やまむろ)常隆(つねたか)の飯櫃(いびつ)衆。下総国からは簗田晴助の関宿衆、高城胤吉の小金衆。
 そして、安房国の里見義堯が率いる安房南総(なんそう)衆。
 常陸国(ひたちのくに)からも小田(おだ)氏治(うじはる)の小田衆、真壁(まかべ)久幹(ひさもと)の真壁衆、多賀谷(たがや)政経(まさつね)の下妻(しもつま)衆、水谷(みずのや)正村(まさむら)の下館(しもだて)衆、少し遅れて佐竹(さたけ)義重(よししげ)が率いる佐竹衆が参陣する。
 北条家にとってみれば、広範な地域にわたる敵が突如として湧いて出たという状況となった。
 この陣容に対し、氏康の呼びかけに応じた坂東の勢力は明らかに少なかった。 
 上野国の赤井(あかい)重秀(しげひで)が率いる館林(たてばやし)衆、下野国の那須(なす)資胤(すけたね)と下那須衆。武蔵国では上田(うえだ)朝直(ともなお)の松山衆。
 上総国からは酒井玄治(つねはる)の土気(とけ)衆、下総国の千葉胤富が率いる森山衆、原(はら)胤貞(たねさだ)の臼井(うすい)衆。
 常陸国からは唯一、大掾(だいじょう)清幹(きよもと)の常陸府中(ひたちふちゅう)衆が北条方に味方してくれる。
 まるで、過去に坂東を二分した享徳(きょうとく)の大乱を彷彿(ほうふつ)とさせる戦いの様相となった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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