よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

『下馬いたせ!』
 政虎は眼を細め、相手を睨みながら唸(うな)る。
『当家はかの八幡太郎、源(みなもとの)義家(よしいえ)様をお迎えいたした時も鞍上(あんじょう)での挨拶を許された家門ゆえ、お断りいたしまする』
 成田長泰が言ったように、成田家は藤原北家(ふじわらほっけ)の流れを汲(く)む名族であった。
 確かに、源頼朝(よりとも)や足利家の祖先に当たる源義家を迎えた時も下馬せずに挨拶したという故事が伝えられており、成田一族は鎌倉幕府の治世から坂東では特別に扱われている。
 ――さような故事も知らぬのか、若輩者めが?
 そう言いたげな成田長泰の顔を見て、政虎が鬼相に変わった。
『ならば、他人の武を当てにせず、己で北条を打ち倒してくるがよい』
 言うやいなや、眼にも止まらぬ疾(はや)さで扇を振り、今度は相手の顔面をしたたかに打ち据える。
 その痛烈な一撃をくらい、成田長泰が落馬したほどだった。
 頰を押さえながら呆然(ぼうぜん)と見上げる名族を、政虎は酷薄な半眼で見下ろしていた。
『無礼打が扇であったことを有り難く思え』
 それだけを言い残し、政虎は何事もなかったように歓迎の列を進んでいった。
 普段は沈着冷静に見えながらも、心底には恐るべき怒りの鬼火を隠し持っている政虎の本性を垣間見た坂東勢たちは、その苛烈(かれつ)さに肝を冷やした。
 しかし、当の成田長泰は軍勢を引き連れて忍城へ帰り、すぐに北条家へ寝返った。
 それが前の戦で起こった無礼打の顛末(てんまつ)である。
「気位だけは高いくせに、他力本願でしか戦を考えぬ者。それが成田長泰の正体にござりまする。坂東での戦には、大義を重んじる御屋形様の純心を利用しようとする者が多すぎました。それゆえ、あの戦がわれらにとって間尺に合わぬものとなってしまったのだと思っておりまする」
「景家、そなたはあの戦こそが御屋形様らしくない戦であったと申すのか?」
「関東管領職という栄誉を得られたことも含め、確かに体裁の良い戦ではありました。されど、武人の本懐からすれば、取るに足らぬ戦であったと言わざるを得ませぬ。最も間尺に合わぬ思いをされていたのは、他ならぬ御屋形様ではないかと思うておりまする」
「それゆえ、間も置かずに、次の戦へ出張られるおつもりだと?」
「……そこまでは申しませぬ。されど、武田の所業が許せぬのは確か。こたびは武人としての本懐を遂げる戦になるのではありませぬか」
「武田晴信(はるのぶ)は歳(とし)に似合わぬ老獪(ろうかい)さを持つ最も危険な相手だ。信濃での戦もこれで四度目、とうてい一筋縄ではいかぬぞ」
 老将の言葉に、柿崎景家も小さく頷いた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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