第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……それは京の関白ではないか」
「さようにござりまする。足利義輝の後見人となった近衛稙家(たねいえ)の嫡男にして、齢(よわい)十九で関白左大臣にまで昇りつめた御曹司であるとか。景虎の上洛の際に意気投合し、酒宴の時の約束通りに越後の府中へ下向したとのことにござりまする。さらに、齢二十六になったばかりの、その関白殿が景虎と合流するため、上野の厩橋城へ向かっているとか、いないとか」
「若輩の公卿が戦場(いくさば)へ出張るとは、いったい何の酔狂であるか!」
氏康は憤りを隠せない。
「酔狂も、酔狂。近衛前嗣は坂東の秩序を再興すると嘯(うそぶ)き、関白の名を冠した書状を坂東の各地に送り、上杉憲政と長尾景虎の下へ集うよう呼びかけておりまする。その際には、新たな公方を支えるために、自らも景虎と一緒に古河城へ赴く、と。近衛の使者が携えていた書状を奪い、確認しましたゆえ、間違いござりませぬ。この通り、ご覧あれ」
小太郎が胸元から書状を取り出し、氏康に渡す。
それを広げ、氏政と一緒に文面を確認した。
「……戦を弄ぶ莫迦者(ばかもの)どもめが」
氏康が苦々しい表情で呟(つぶや)く。
「まことにござりまする。されど、かような大義名分でも有り難いらしく、坂東の有象無象が厩橋城めがけて動き始めておりまする。これは思うていたよりも、厄介なことになるやもしれませぬ」
風魔小太郎は小さく溜息をついた。
「父上、厩橋城から古河城へ向かう途上で戦を構えまするか?」
氏政が不安げな面持ちで訊く。
「いや、まだ敵味方の色分けが定かにならぬうちは、軽々に動かぬ方がよかろう。まずは味方の坂東勢に書状を送る。さらに松山城にいる将兵たちを河越城に移し、守りを固めさせる。小太郎、この話を綱成に伝え、万全の籠城ができるように急がせてくれ」
氏康の命に、小太郎が頷く。
「氏政、戦の構えを決めるのは、敵の全貌が見えてからでも遅くはない」
「わかりました」
「長尾景虎がこの戦にいかような利を見出しているのか、皆目見当もつかぬ。おそらく信玄殿も同じ事を申されるであろうな。この件の詳細は至急、武田家と今川(いまがわ)家へも伝えておこう。氏真(うじざね)殿が援軍を出せるとは思わぬが、盟友に対する敬意として願っておくべきであろう」
己に言い聞かせるように、氏康が言葉を発した。
その耳元に、素早く動いた風魔小太郎が囁(ささや)きかける。
「親方、ご用心くだされ。思う以上に、敵の頭数が揃いそうだ。越後でも武田の透破(すっぱ)がうようよしていたらしい。甲斐の御仁に頼み、信濃から越後へ出張ってもらうのがよいかもしれませぬ」
それだけを伝え、消えるように退席した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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