第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「景虎はこの城を見るのが初めてだ。総攻めを行うにしても、小田原城の備えがどれほどのものかを知るために、先陣が戦いを仕掛けねばならなくなる。されど、この先攻めこそ、多大な犠牲を覚悟せねばならぬ。寄せ集めの坂東勢に討死覚悟の先攻めができるとは思えぬゆえ、越後勢がそれを担うのであろう。まずは城の防御を使うて、敵の先攻めを完膚なきまでに叩(たた)きのめす」
「なるほど」
「兵粮が潤沢であれば、城を囲んだまま弱点を探すこともできるが、折からの飢饉でさような余裕もあるまい。景虎が寄せ集めの軍勢に短期で総攻めをさせられるかどうかが戦いの分かれ目になる」
「父上はいかが思われまするか」
「俄(にわか)仕立ての糾合に集まった坂東勢に犠牲を覚悟した総攻めができるとは思えぬ。戦が長引けば、必ずや綻(ほころ)びが生じる」
「ならば、敵は和議を持ちかけてくると?」
「和議には、応じぬ。幸い、この城には兵粮が潤沢にある。時が経てば、尻に火がつくのは景虎の方だ。それでも万が一の総攻めがないとは断言できぬ。その時は覚悟を決め、景虎の首を狙う。さすれば、小机城と甘縄城から挟撃の軍が動くはずだ。甘縄には綱成と黄備衆を隠してあるからな」
氏康は刀瘡を歪(ゆが)め、不敵に笑う。
「父上は家中にも知らせず、叔父上を甘縄城に入れていたのか。てっきり、河越城か、滝山城にいると思うていた。つまり、父上は景虎の総攻めをかなりの確度で読んでおられたということか」
氏政はあらためて父の慧眼(けいがん)に感心した。
閏三月に入って十日ほどのじりじりした時が過ぎ、ついに越後勢の先鋒(せんぽう)が動く。
越後勢先鋒隊と小田原城をよく知る武蔵の太田資正が大手門へ攻め寄せる。
これに対し、高橋康種と赤備衆を中心とする城方が激しく応戦し、この攻撃を撥(は)ね除(の)けた。
その後も数度にわたり、越後勢が城下に火を放つなど、小競り合いが行われる。
しかし、籠城に徹した小田原城の備えは、あまりにも堅固であり、景虎は攻めあぐねたまま時を費やす。かといって、総攻めに転じることもできないようだった。
――これが武神を標榜(ひょうぼう)する長尾景虎の戦いか。何とも、生温い。微塵(みじん)の怖さも感じぬ。所詮、寄せ集めの坂東勢を御すことができぬ器量にすぎぬということか。
殿主閣に立った氏康は、腕組みをして外郭を睨(ね)め付けた。
閏三月の上旬を過ぎ、敵軍の動きがにわかに騒がしくなる。
景虎は酒匂川の東岸にあった本陣を引き払い、一路、東へ向かい始める。坂東勢もそれを追うように退陣した。
小田原城をはじめとして、他の城もほぼ無傷で残っていた。
――これが大仰な檄を飛ばして始めた合戦の結末か?
拍子抜けしながらも、少し安堵(あんど)した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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