第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
その後方には関東管領(かんれい)、上杉(うえすぎ)家の幕紋「竹に二羽飛雀(にわとびすずめ)」の旗幟がはためいている。
そして、たなびく「毘(び)」と「龍」の一文字旗。万にも及ぶ敵影に見える。
それらの光景が一度に両眼へ張りつく。
しかも、すべては指呼の間にあった。
夥しい数の越後勢が、忽然(こつぜん)と姿を現したのである。
――いつの間に、かかる大軍が、この八幡原へ降り立ったというのか……。
山本菅助は脳天に鉄槌(てっつい)をくらったような衝撃を感じる。
それから、背筋が痺(しび)れ、微かに膝が震えた。
─―この軍勢、いったい、いずこから現れたのか……。天より舞い降りたか、地より湧き出たのか……。かような機でわれらの眼前に軍勢を揃(そろ)えるとは、景虎は鬼神か!? あるいは、天魔であるか……。
何とか軆を動かそうとするが、瞳が敵影に膠着(こうちゃく)して離れない。
菅助は思い切り口唇を嚙みちぎり、血を吐きながら雄叫(おたけ)びを上げる。同時に両の拳で甲冑を叩き、敵影の呪縛から逃れようとした。
そうでもしなければ、最初の衝撃から我に返ることができそうになかった。
衝撃を受けたのは、この足軽大将だけではない。
驚くほど近くに見える敵に、兵たちは悲鳴にも似た声を上げる。
「……敵じゃ。……越後の者どもが眼の前にいるぞ!」
その叫びが連鎖し、先陣左翼の隅々にまで広がっていく。
そして、不意をつかれた衝撃が、瞬く間に兵たちの間で恐怖へと変わる。
―─このことを、典厩殿に伝えねばならぬ!
そう思った菅助が叫ぶ。
「室賀殿!」
呼ばれた室賀信俊は、張り裂けんばかりに目を見開いたまま竦(すく)んでいる。その両眼からは、正気が飛んでいた。
「室賀殿!しっかりせよ!」
「あっ、……申しわけござりませぬ」
やっと我に返り、室賀信俊が声を発する。
「典厩殿のもとへ戻り、このことを伝えてくだされ! 越後勢はすぐさま攻めかかってくる!」
「承知!」
室賀信俊は弾かれたように愛駒の腹を蹴り、後方の陣へ駆け出す。
その刹那、菅助はまたもや衝撃に襲われる。
今度は鈍い音とともに、足下の大地が揺れた。
―─地鳴り!?
咄嗟(とっさ)にそう思ったが、地震ではない。
越後勢の先陣が大地を蹴って動き出す音だった。
先頭にあった蕪菁紋の旗幟が揺れた瞬間、それに続いて後続の軍までが動き出したように見える。その蹄音と敵兵の気勢が、あたかも地鳴りのように響いたのである。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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