よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「そりゃあ! どうした、村上! 赤子の如き泣きっ面になっておるぞ!」
 槍を突き出しながら虎光が挑発する。
「黙れ、老いぼれ!」
 村上義清も防御から攻勢に出ようとする。
 それこそが室住虎光の狙いだった。
 切れ目のない攻撃など、いつまでも続くものではない。じきに己の息が上がることはわかっている。
 それゆえ、相手がむきになって反撃してきた時が最大の好機となる。
「村上、葛尾(かつらお)城は今や儂(わし)の庭じゃ! 首だけならば、あそこに埋めてやらぬでもないぞ!」
 虎光は最大の侮蔑を投げかける。
 何が何でも相手を挑発に乗せなければならなかった。
 それを聞いた刹那、村上義清の脳裡で怒りが弾ける。
「おのれ、下郎が!」
 顔を紅潮させ、槍を相手に叩きつけようとする。
 途轍(とてつ)もない大振。
 明らかに怒りのせいで、無理な攻撃になっていた。
 村上義清の一撃をかいくぐった室住虎光は、老獪(ろうかい)な一撃を繰り出す。
 石突で相手の馬首を叩く。意表を衝(つ)く痛打だった。
 驚いた村上義清の愛駒は嘶(いなな)きを上げながら、前足を蹴り上げて竿立(さおだ)ちとなる。
 大振の一撃をすかされた越後の将は、立ち上がった愛駒の背から放り出されそうになり、思わず馬の首へしがみつく。
 その横腹へ、室住虎光は恐るべき疾さで槍を突き入れる。
 一突、二突、三突!
 渾身(こんしん)の攻撃だった。
「ぐわあぁ!」
 叫びを上げながら激痛に身を捩(よじ)る村上義清は、ついに愛駒の背から転落する。
 虎光の瞳には、無防備になった敵の喉仏がはっきりと映っていた。老将は素早く槍を持ち替え、狙いをつける。
 あと一撃。止めの一突き。
 それで終わりだった。
 しかし、その刹那である。
 虎光は腰下に思いも寄らぬ鈍い衝撃を感じる。視界がぐるりと反転し、背中に激痛が走った。
 何が起こったのか、すぐにはわからない。
 気が付くと、己は大地に放り出され、大漢が己の腰に組み付いている。
 先ほど倒した新発田長敦の郎党、松村(まつむら)新右衛門(しんえもん)という剛力者が、馬上の虎光に後ろから飛びかかったのである。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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