第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
柿崎景家の鼓膜に、荒くなった己の呼吸と暴れ出した心臓の音だけが響いていた。
その間も信繁の放った切先が、白い尾を引きながら大気を裂いて近づく。
眼を瞑ってしまいたいという衝動とは裏腹に、柿崎景家は大きく眼を見開き、視線は切先の一点に釘付けとなる。
それは寸分の狂いもなく、己の喉仏に迫ってきた。
止水。そのような静寂。
武人としての最期を迎えるべく、越後の先陣大将は微動だにしない。
しかし、次の刹那である。
またしても、思わぬことが起きた。
白影。二人の視界に、いきなり白い人影が飛び込んできたのである。
それに大きく眼を奪われたのは、こともあろうか、信繁の方だった。
─―放生月毛(ほうしょうつきげ)の馬に、白妙(しろたえ)の行人包(ぎょうにんづつみ)!? 越後の総大将がここに!
そう思いながら、咄嗟に視線を移す。
確かに、紫紺の厚総(あつぶさ)を下げた月毛を駆る武者が一騎、埃(ほこり)を巻き上げながら異様な疾さで二人の死闘の場へ近づいてくる。
兜を行人包にして具足の上に萌黄緞子(もえぎどんす)の胴肩衣(どうかたぎぬ)を羽織り、槍を携えているのは噂(うわさ)に違わぬ越後の総大将、上杉政虎の姿だと思われた。
そこへ意識が向き、わずかに首を捻ってしまったため、信繁の放った切先が微妙なずれを生んでしまう。
敵の喉仏を貫くはずだった槍穂は柿崎景家の首筋をかすり、吹返しの内側へ潜り込み、小札錣(こざねしころ)に突き刺さる。
柿崎景家は大きく肌を切り裂かれた痛みを感じたが、致命傷にはなっていない。
―─こ、これは、天佑(てんゆう)なのか?
大きく眼を見開き、兜の内側に刺さった敵の槍を摑む。
信繁も感触の違いを悟り、口惜(くや)しそうに顔をしかめる。
それを見た柿崎景家は、反射的に右手の得物を相手に向かって突き出す。
相討。その切先は、武田先陣大将の左肩口に突き刺さる。
さらに月毛の駒が駈(か)け寄り、畳みかけるように馬上の行人包が鋭い槍の一撃を見舞う。
すでに、信繁は己の槍柄を手放していた。右手で素早く佩刀(はいとう)を抜き、行人包の攻撃をかろうじて弾く。
しかし、そのせいで鞍上の態勢を大きく崩してしまう。
そこへ柿崎景家のさらなる一突きが放たれ、切先が右胸を貫く。
「うおぉ……」
苦しげな叫び声を発しながら、信繁は愛駒の背から崩れ落ちる。
信じがたい逆転だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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