第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……村上義清、かかって来ぬか!」
気骨の老将は丹田から最後の声を振り絞る。
その声を聞いていた村上義清も腹に深手を負い、ほとんど意識が飛び、動けなくなっていた。
とめどなく溢れ出す室住虎光の血が、八幡原の大地へ沁(し)みてゆく。
まるで流れ出した血潮が湯気でも発するが如く、そこから強い気が立ち上っている。
老将の息は絶えていたが、最後の叫びが敵兵の軆を震わせたように、その苛烈な魂魄はまだ虚空で震動を止めていなかった。
紙一重。なにゆえ、瞬きの刹那に、生と死が入れ替わるのか……。
それは、誰にもわからない。
しかし、それが戦場での非情な現実だった。
越後の足軽たちは少しばかり怯えた顔で、壮絶な最期を遂げた武田の老将を見ている。
それらを押しのけ、室住虎光を馬から引きずり下ろした松村新右衛門が進み出る。辺りをひと睨みしてから、当然だという面持ちで老将の首級(しるし)を奪った。
そこへ、けたたましい蹄音が響く。
室住隊の数騎が、やっと大将の下へ駆けつけたのである。
大将の首級を手にした敵を見つけ、山寺(やまでら)藤右衛門(とうえもん)、広瀬郷右衛門(ごうえもん)、曲渕(まがりぶち)庄左衛門(しょうざえもん)らが血相を変え、一斉に槍で突きかかる。
その穂先で串刺しにされ、越後勢の松村新右衛門は首を摑んだまま絶命した。
山寺藤右衛門が馬を下り、大将の首級を松村の手からむしり取る。そこへ再び越後の足軽たちが群がり、斬り合いとなった。
そこからは、激しい首級の奪い合いとなる。
首を持って逃げる武田の兵を追いかけ、越後の兵が何とか奪い返そうとした。その首級を手にした者が褒美を貰(もら)えるからである。
山寺藤右衛門は倒れる寸前に広瀬郷右衛門へ首級を託す。武田の兵は次々と倒されるが、それでも首級を死守して受け渡してゆく。
室住虎光の首級を守ることだけが、討死させてしまった大将に対するせめてもの償いだった。
多勢に無勢で不利と見た曲渕庄左衛門は、駆け付けた山本隊の伝令を発見し、石黒五郎兵衛と成瀬正一に首級を渡して叫ぶ。
「これを持って馬で逃げろ! わしらに構わず、御大将の首級を本陣へ届けてくれ!」
それを受け取った二人は、首級をかき抱き、一目散に逃げ始める。
何があっても振り向くまいと決め、石黒五郎兵衛は馬を煽った。
何度か背中を斬りつけられながらも、味方のいる先陣中央まで辿(たど)りつく。この者たちの必死の遁走(とんそう)で、老将の首級は敵の手へ渡らずに済んだ。
「御注進! 先陣右翼にて、御大将、室住豊後守殿、無念のお討死にござりまする!」
石黒五郎兵衛からその一報を聞き、信繁は顔色を失う。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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