よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 ─―この室住に引導を渡すには、まだまだ、うぬらの貫目(かんめ)が足りぬわ! 先にそれがしが村上の首をいただく!
 虎光が疾さを優先して突き進んだことには理由があった。
 残り少ない己の体力が途切れる前に、何とか宿敵を見つけなければならないと思ったからである。
 一方、村上義清も鬼の形相で愛駒を駆り、怨敵とする真田家の旗印を探していた。
 しかし、奇襲隊に加わった真田衆が、この場にいるはずもなかった。
 疾走する室住虎光は混戦の中、やっと仇敵(きゅうてき)の姿を視界に捉える。
 村上の旗指物をしている騎馬武者で、はっきり大将とわかる当世具足を身に纏(まと)った者がいたからだ。
 手綱をしごき、その武将を目がけて速度を上げる。
「村上義清!」
 虎光が嗄れた声で咆哮(ほうこう)する。
「覚悟!」
 その声を聞き、美装の武将が眉をひそめる。
 ─―何奴(なにやつ)か、あれは!?
 村上義清は手綱を緩め、前方の相手を睨(ね)め付けた。
 敵の反応を見て、室住虎光はその相手が仇敵だと確信する。愛駒の速度を少しだけ落とし、迷いなく相手に突きかった。
 馬上槍の一閃(いっせん)。槍穂の凶暴な光輝。勢いに乗った鋭い一撃が放たれる。
 義清は喉元へ迫るその突きを、かろうじて弾く。
 だが、馬上から落ちかけるほど態勢を崩してしまう。
 ほんの少しでも反応が遅れていれば、喉仏を突き抜かれていたのではないかと思われるほど、鋭い一撃だった。
 最初の突進をかわされた虎光は、すぐに手綱を引き、馬首を返そうとする。
 しかし、勢いのついた愛駒はなかなか止まれない。蹄(ひづめ)から埃(ほこり)を巻き上げ、やっとのことで馬体を反転させる。
 その様を、村上義清は驚愕(きょうがく)の面持ちで見つめる。同時に、敵の後続を探すが、武田の騎馬兵はまだ現れない。
 ─―こ、こ奴、一騎駆けにて、ここまで来たというのか!? 何者だ、いったい……。
「村上義清、うぬの首をもらいに冥府より参ったぞ!」
 室住虎光が口唇の左端を吊り上げ、微かに笑う。
 それから間髪を容れず、馬を寄せて突きの連打を放つ。
 村上義清は必死の形相で、その切先を弾く。しかし、あまりに変化の多い攻撃に、防戦一方となる。北信濃(きたしなの)の鬼と言われた漢(おとこ)も、さすがに肝を冷やしていた。
 槍使いとしては、虎光の方が一枚上手だった。しかも、周囲のことなどまったく気にせず、絶え間なく突きを放ちながら馬を寄せてゆく。 
 ─―刺し違えでよし!
 この老将はそのように肚(はら)を括(くく)っていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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