第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
瞬時の直感だけで、敵の戦法を捉える。
「弓隊の者は下がれ! 早くしろ! 再び来るぞ!」
菅助は声の限りに叫ぶ。
己も後ずさりしながら、次の下知を飛ばす。
「足軽隊、盾を構えよ! 臆するな! 下がれば、かえってやられるぞ!」
その命令が、どれほど味方の兵に届いていたかはわからない。
すでに武田の先陣左翼は大混乱をきたし、阿鼻叫喚(あびきょうかん)に包まれている。敵の攻撃に一切の逡巡(しゅんじゅん)はなく、味方の兵だけがただ無慈悲に倒されていく。
まるで夥しい刃の付いた巨大な車輪に自陣が切り裂かれたような有様だった。
―─勝てぬ……。これほどまで非情な軍略用兵術を編み出す武神に勝てるわけがなかろう……。
恐怖と混乱に心の臓を鷲摑(わしづか)みにされ、山本菅助は生まれて初めて怯(おび)える。
戦場でこんな怖気(おじけ)を抱くのは初めてだった。
しかし、大将の己が怖気づけば怖気づくほど、味方の屍が増えていく。
越後勢の第二波は最初の攻撃の比ではなく、さらに熾烈(しれつ)を極める。これが第三波となれば、どれほどの損害が出るかわからない。
そして、蜷局を巻いた龍の頭から上杉政虎(まさとら)の嘲笑が響いてくるような気がした。
―─莫迦者(ばかもの)め! 菅助、うぬが逃げてどうする! しっかりしろ! 勝てぬならば、潔く突撃して武田の足軽大将らしく死なぬか!
耳の奥で怒声が響く。
もう一人の己が、怖気に取り憑(つ)かれそうになる己を必死で叱咤(しった)していた。
壮絶な敵の第二波が過ぎ去り、戦場にほんのわずかな空白が生まれる。
その狭間(はざま)で、ひとつの言葉が脳裡をよぎった。
玉砕。
―─これ以上、後ろへ退けば、何もせずに負ける。ここで敵の勢いを受け止めねば、先陣どころか御屋形様の本陣さえ危ない。……相手が龍ならば、一命を賭してその頭を叩き、動きを止めるしかあるまい。ならば、敵の先陣と刺し違えるしかない! それが御屋形様に奇襲を献策した己の責任だ!
その思いの中に、ほんのわずかな光明が見え隠れする。
「退くな! さがれば、やられるぞ!……箕手(みのて)だ。箕手の構えを取り、前へ出て、敵の先頭だけを包み込め!」
自ら前へ歩み出て、右往左往する兵たちを鼓舞する。
もう、後ずさりする気はなかった。
咄嗟に覚悟を決め、槍を構えた菅助は、両足で大地を踏みしめる。己が立てた策の裏をかかれ、本陣が一気に死地へと化す恐れがあったからである。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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