第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
―─ぬかったか!?
虎光は力を振り絞り、大漢の顎を蹴り上げる。
「ぐわぁ」
松村新右衛門が顎を押さえ仰向けに吹っ飛ぶ。
何とか相手を押しのけた虎光は、刀を抜きながら立ち上がる。
その途端、脇腹に激痛が走った。
どうやら、落馬の衝撃で肋骨(ろっこつ)が折れたようだ。
それでも、室住虎光は霞(かす)みそうになる眼で、村上義清の姿を探し求める。
一刀。あと一太刀を浴びせれば、怨敵を倒すことができるはずだった。
しかし、立ち上がった武田の老将に、越後の足軽たちが群がる。鎧通しを手に体当たりをしてきた。
激しい痛み。それも夥しい数の激痛だった。
足軽たちの鎧通しが、室住虎光の胴を貫く。まるで、己の腹の中にいくつもの氷柱(つらら)を突き入れられたような感触だった。
「ぐっ……はっ……」
叫び声も出せず、虎光は仁王立ちになる。
それから、刀を振り回し、足軽たちを突き放そうとした。
敵の一団は素早く軆を離し、老将の力がつきる瞬間を待つ。
室住虎光は朦朧(もうろう)としながら叫ぶ。
「村上、尋常に勝負せよ!」
敵に呼ばれた村上義清は横腹を押さえ、苦痛に耐えながら、その様を見ている。
やがて、刀を振る力も尽き、虎光は大地に切先を突き刺して何とか立っていた。
「村上! うぬが止めを刺しに来ぬか! 臆したか、卑怯者(ひきょうもの)めが!」
気骨の老将が最後の力を振り絞って叫ぶ。
――村上義清が止めを刺しにきたならば、刺し違えてくれる!
しかし、その思いも空しく、立っているのがやっとだった。
仁王立ちする室住虎光に対し、敵の足軽が群がる。
再び、腹に激痛が走った。もう眼を開けていられなくなった老将の瞼(まぶた)の裏が何度も発光する。そして、懐かしい面影が次々と浮かび上がってきた。
板垣(いたがき)信方(のぶかた)。甘利(あまり)虎泰(とらやす)。上田原(うえだはら)の一戦で、先に逝った朋友(ほうゆう)たちだった。
互いに競い合いながら、切磋琢磨(せっさたくま)のなかで武田家を支えてきた漢たちの顔である。
――すまぬな、信方、虎泰。仇敵へ槍はくれてやったが、止めは刺せなかった。許せ……。
最後に、赤備の具足に身を包んだ飯富虎昌の顰面(しかみづら)が蘇(よみがえ)ってくる。
『どうした、豊後殿! まだまだ、やれるぞ!』
そんな声が心奥に響き渡り、気骨の老将が儚(はかな)い笑みを浮かべる。
―─兵部、すまぬ。あと一太刀……。あと一太刀が仇敵へ届かなかった。不甲斐なき老骨を許せ……。
夥しい刺し傷を負った室住虎光は、ゆっくりと倒れる。両手を広げ、土の上に大の字となった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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