第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「皆、足を止めるでないぞ! 麓まで一気に下るのだ!」
真田幸隆は先導の百足衆に下知を飛ばす。
総軍は速度を上げて坂道を駆け下りる。だが、麓へ辿り着く寸前に、今度は先頭の百足衆たちが慌てて足を止めた。
先頭の兵たちが騒然となっており、後続の者たちも伏兵を警戒し、異様な緊張に包まれる。
百足衆の使番が坂道を駆け上がり、真田幸隆に報告する。
「前方に軍勢らしき影が見えまする!」
「旗印は?」
「それが……。た、ただいま、別の者が確かめておりまする」
「莫迦者(ばかもの)めが! 旗印ぐらい確かめてからまいらぬか!」
怒声を発した大将を見つめ、使番が首をすくめる。
思わぬ出来事の連続で兵たちが浮き足立っていた。
「……も、申しわけござりませぬ。まもなく、二の使いが参りまする」
「よいか、皆。油断いたすな! もしも、敵がいたならば、一気に蹴散らすぞ!」
真田幸隆は兵たちに檄を飛ばす。
皆が身を引き締め、強(こわ)ばった面持ちで得物(えもの)を握りしめた。
そこへ二の使いが走ってくる。
「前方の旗印は、月星(つきほし)! 兵部殿の赤備(あかぞなえ)衆にござりまする!」
どうやら、三滝道(みたきみち)から村上(むらかみ)義清(よしきよ)の陣へ寄せた飯富虎昌も奇襲をすかされ、雨宮へやって来たようだ。
真田幸隆は内心ほっとしながら麓へ駆け下りた。
三滝道の出口となる矢代生萱(やしろいきがや)の方角に眼をやると、赤鬼の如き形相になった飯富虎昌が何かを喚(わめ)きながら近寄ってくる。
「うぉ、うまぁ!……馬が」
「兵部殿、馬がいかがなされました?」
「おお、一徳斎殿。……それがしの使う馬が一頭もおらぬ!……どこもかしこも、蛻(もぬけ)の殻だ!」
虎昌は息を切らせながら唸(うな)る。
村上義清の陣へ押し入った後、敵の馬を奪って追い立てるという目論見(もくろみ)が完全に外れていた。
「妻女山の本陣も空にござりまする。さきほど、西側の麓から人馬の声が聞こえてきましたゆえ、奇襲をかわした越後勢が海津城か、御屋形様の陣へ攻め懸かっているやもしれませぬ」
「なんだと! われらの奇襲が読まれていたということか?」
「……ことごとく」
「なんということであるか……」
表情を曇らせた虎昌に、真田幸隆が耳打ちする。
「されど、ここまで見事に裏を搔かれるということは、内通でもあったとしか考えられませぬ」
「なにっ! ならば、御屋形様の身が危ないではないか」
「ぐずぐずしている暇はありませぬ。われらも八幡原へ急ぎませぬと。敵が御屋形様の陣へ攻め懸かっているのであれば、逆に挟撃で一網打尽にせねばなりませぬ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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