よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「あり得ぬとは断言できぬでありましょう。それゆえ、民部殿の隊には矢代へ廻(まわ)っていただき、そこから渡河の機を窺い、うまくいったならば対岸の敵の横腹を突いていただく。もしも、越後勢が大軍で待ち構えていると見えたならば、何とか善光寺道(ぜんこうじみち)へ出て敵を振り切り、御屋形様にかかる状況をお伝え願いたい。しかれば、われらは心おきなく力攻めができまする。さような意味で矢代への迂回は上策かと。違いまするか、兵部殿?」
「…確かに、それも策のひとつではある」
「民部殿、いかがか?」
 真田幸隆はいきり立つ虎昌をなだめ、力攻めを嫌う馬場信房の顔を立てるべく策を講じていた。
「……一徳斎殿がさように申されるのであれば、それがしに異存はありませぬ」
「では、決まりだ。寸刻も惜しいゆえ、民部殿にはすぐ出立していただきましょう。兵部殿、そろそろ巻竹(まきたけ)もでき上がるころゆえ、まずは百足衆に河を渡らせ、敵の構えを見切りませぬか。その上で一気に力攻めとまいりましょう」
「おお、それでよかろう。ただし、敵がわれらを舐(な)めぬよう、土手に兵を展開して姿を見せつけてやらぬか。あそこならば、鉄炮の玉もそうそうは当たらぬ。百足衆だけを敵の前に晒(さら)すのは忍びないゆえ、わが隊が援護の構えを取る」
 飯富虎昌が落ち着いた口調に戻る。
「わかりました。さようにいたしましょう」
 真田幸隆は急場の軍(いくさ)評定を何とかまとめた。
「おい、民部……」
 飯富虎昌が、踵を返した馬場信房を呼び止める。
「声を荒らげてすまなかった。臆病の虫は、言い過ぎであった。許せ」
 老将は潔く頭を下げる。
 それを見て、信房も息を吐く。
「……お気になされますな。苛立ちは、それがしも同じ。心中、お察しいたしまする」
「さようか」
「では、後ほど御屋形様の陣にて」
 馬場信房は気を取り直すように微(かす)かな笑みを投げかけ、この場を後にした。
 真田幸隆はさっそく足軽たちが作った巻竹を検分する。軆が隠れる長さに切った竹を円形に束ね、盾代わりに使うのである。
 ひとつの巻竹を作るのに二、三十本の竹を要するが、この厚みになれば六匁玉も容易には通さない。急拵えではあるが、鉄炮の対策にはよく使われる手だった。
 巻竹を持った足軽を二十名ほど横に並べ、その後方にもう一名の足軽が身を隠す。盾役が撃たれても、後方の者が代われるようにするためである。
 防御をしているとはいえ、これだけの備えで鉄炮の前に出るのは並大抵の心胆ではこなせない。まさに前だけを見て進む百足衆の面目躍如だった。
 百足衆の巻竹隊が息を詰めて川縁へ下りてゆく中、残りの軍勢が土手の上に勢揃いする。対岸の敵に六千の威容を見せつけるが如く、一斉に鬨(とき)の声を上げた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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