第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
どうやって致命傷に至る一撃を避けたのか?
それを訊かれても、おそらく、答えようがなかった。
─―されど、余は生き残っている。
信玄は思わず床几から立ち上がる。
─―天が、……天がまだ余の命を奪わなかった!?
二人の遭遇は、たった一呼吸の間に起こっている。
まさに刹那の一騎打ち。
これまで互いに溜めてきたもの、すべてが一瞬のうちに交錯していた。
それでも、この場に立ち会っていた者にとっては永遠の如くに感じられる。信じ難い出来事の連続で、すべてが凍りついていたからだ。
その膠着(こうちゃく)を破ったのは、やはり、斬りかかった上杉政虎である。
─―一太刀で仕留められぬならば、仕留めるまで戦うまでよ!
小豆長光を握り直した主に呼応し、放生月毛が斜横足で武田の総大将に迫る。
上杉政虎が眼にも止まらぬ疾さで太刀を振り下ろす。
そのことごとくを、信玄は軍扇で弾こうとする。それでも、受けきれない攻撃がいくつかあった。
信玄は肩口や腕に痛みを感じるが、それをものとともせずに叫ぶ。
「馬から下りよ、小童(こわっぱ)! さように横着な太刀で、余が仕留められると思うでない! 下りて勝負せぬか、下郎めが!」
武田の総大将が、馬上の行人包を一喝した。
それを見た原昌胤が我に返る。
「景虎がいるぞ! 敵の総大将を仕留めよ!」
そう叫びながら槍を突き出す。
同じく保科正俊も我に返った。
信玄のために用意していた青貝柄の槍を取り、胴肩衣の背に光る毘の一文字を目がけて一撃を繰り出す。
背後からの攻撃を捌き、上杉政虎は愛駒の向きを変えようとする。
その後肢(うしろあし)の三頭を、原昌胤が槍の柄で叩く。
三頭とは、馬の膝関節のことである。
放生月毛は鋭い嘶きを上げながら、後ろにいる武者を蹴り飛ばそうとした。
挙動を乱した人馬を見て、保科正俊が側面から突きかかる。
「逃がすか!」
その必死の叫びも空しく、渾身の一撃は敵の総大将に弾かれた。
上杉政虎は愛駒の手綱を引き、その場を離れようとする。
─―すんでのところで、武田晴信という大魚を逃した……。
己の描いた戦模様では、神速の一騎駆けで敵総大将の首級を上げ、驚いている敵を尻目にそのまま犀川の畔へ向かうはずであった。
しかし、信玄の旗本衆が大挙して犀川への行手を阻んでいる。
すでに政虎の退路は閉ざされていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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