よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 ─―この出撃はもちろん父上の旗本を守るためだが、叔父上の仇(あだ)にも必ずや一矢報いて見せる!
 義信の勝気に火がつき、血の滾るままに手綱をしごく。
 八幡原の武田勢、第二陣の二千余が先頭を行く大将に従って動き始める。
 その頃、石黒(いしぐろ)五郎兵衛(ごろべえ)と成瀬(なるせ)正一(まさかず)が、信玄の旗本に辿り着いていた。
「……懼(おそ)れながら、申し上げまする。先陣右翼大将……む、室住(もろずみ)豊後守殿。無念の……お、御討死にござりまする。……こちらに御首級(みしるし)が」
 武田菱(びし)の旗にくるんだ大将の首級をかき抱きながら、石黒五郎兵衛が地面に突っ伏した。
 信玄が戸惑いを隠せないまま聞き返す。
「豊後守がなにゆえ……。そなたらは右翼にいた者たちか?」
「いいえ、われらは先陣左翼におりました」
 成瀬正一が答える。
「左翼?……ならば、菅助の陣ではないか。訳がわからぬ。最初から順を追って詳しく申せ」
「……申し訳ござりませぬ。われらは先陣左翼の道鬼斎殿の下におりましたが、朝靄の中でけたたましい物音が響いたと思った途端、いきなり越後勢の騎馬隊が襲いかかってまいりました。それも単なる伏兵ではなく、妻女山にいた越後勢の総軍と思(おぼ)しき数にござりました」
「われらの奇襲がすかされ、敵がすでに渡河までしていたと?」
「さようにしか思えぬと、道鬼斎殿も申されておりました」
「……うぅむ、なんということだ」
 信玄が眉をひそめて唸(うな)る。
「敵の騎馬隊は見たこともない陣形と戦法で懸かってきまして、あっという間に左翼の前方にいました弓隊が潰され……」
「おい、待て! 見たこともない陣形と戦法とは、どのようなものか? 見えたままを申してみよ」
「……なにか龍が蜷局(とぐろ)を巻くような動きでありまして、騎馬隊が弧を描きながら切れ目なく一撃を与えては去り、また戻ってきては一撃を与えるというような有様でして……」
「龍の蜷局、とな……。さような戦法、聞いたこともないわ」
「おそらく騎馬隊だけで五、六千の兵がいたのではないかと。その苛烈(かれつ)な攻撃に左翼全体が危うくなったと見ました道鬼斎殿は、われら二人に先陣右翼と中央奥の典厩様の陣へ行き、窮状に備えるよう伝えよと申されました。そこですぐに室住豊後守殿のおられる先陣右翼へと向かいましてござりまする。ところが、敵の攻撃は相当に疾く、われらが先陣右翼へ到達する頃には、敵の騎馬隊も方向を変え、第一撃を加えておりました。後方からは越後勢の足軽が押し寄せ、残った左翼の味方を包むように攻撃し始め、われらは為(な)す術(すべ)もなく……」
「豊後守は奇襲が失敗したことを悟っていたのか?」
 信玄の問いに、成瀬正一が頷く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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