第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
とくに命知らずの赤備衆は、己の甲冑(かっちゅう)を見せつけるように拳を突き上げ、罵声を飛ばす。
「撃てるものならば、撃ってみよ!」
そう言わんばかりの挑発だった。
その声に応え、対岸の土手から越後勢の鉄砲隊が顔を覗(のぞ)かせる。
「まだだぞ、充分に引きつけてからだ!」
甘粕景持が険しい面持ちで叫ぶ。
しかし、対岸の土手を見た途端、思わず息を呑む。
─―なんという数だ。しかも、主力は武田最強の赤備衆だと!?……まさか。武田の先陣を担っているはずの赤備衆がなにゆえ、ここにいる……。
信じられない光景だった。
甘粕景持は無意識のうちに眼を擦(こす)る。
だが、それは夢でも何でもなかった。辰砂(しんしゃ)染めの具足で全身を包んだ武田最強の軍団が眼前で罵声を飛ばしてくる。
─―少なく見積もっても、五、六千はいるか。まるで武田本隊の先陣の如き軍容ではないか。もしも、奇襲をすかしていなければ、いったい、どのようなことになっていたというのか……。
景持の背筋に微かな寒気が走る。
─―いや、望むところよ。武田の先陣を担っていたはずの赤備衆が相手ならば、不足はなし。あれほど望んでいた先陣がここにあるということではないか。わが本懐を得たり!
瞬時に性根を据え、甘粕景持は戦いに臨む覚悟を決めた。
それから、単身で土手の上に躍り出る。
「皆の者、よく聞け! 武田はよほどわれらが怖いと見える! わざわざ赤備まで出してきたぞ! されど、臆することはない! ただ甲冑が紅(あか)いだけで、人には変わりないわ! あの赤ん坊どもに、今こそ甘粕隊の土性骨(どしょうぼね)を見せてくれようぞ! 鬨の声を上げろ!」
甘粕景持が声を限りに叫び、自陣を鼓舞する。
それに応え、鯨波(げいは)が広がった。
武田勢奇襲隊と上杉勢殿軍。互いの意地と存亡を賭け、もうひとつの先陣が激突しようとしていた。
そして、相手の兵力を手探りで確かめていた武田奇襲隊が、一転して総軍渡河へと踏み切る。これまでの鬱憤を爆発させるような猛攻が始まった。
甘粕景持は奥歯を嚙みしめ、三方からの寄手(よせて)を睨(にら)む。その面相が、大きく歪んだ。
左手側に、浅い狗ヶ瀬(いぬがせ)を渡ろうとする六連銭(ろくれんせん)の旗幟(きし)。右手側からは、矢代へ迂回したと思われる花菱(はなびし)の旗幟。
そして、正面には月星の旗指物を背負った赤備衆。雨宮を強行突破しようとする武田最強の軍勢だった。
三軍を合わせれば、万に達するほどと見えた敵が怒声を上げ、越後勢の殿軍へと迫ってくる。
これまで、奇襲をすかされた武田勢は慎重な索敵をせざるを得なかった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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