よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「おそらく、そのように判断されたのではないかと……。豊後守殿は劣勢を挽回(ばんかい)すべく騎馬で打って出られ、相当な数の敵を撃破なさっておりまする。仇敵(きゅうてき)、村上義清にも槍をお付けになられましたが、多勢に無勢の中で奮闘空しく……。われらが駆け付けました時には、敵と味方で御首級の奪い合いとなっておりまして、この五郎兵衛がそれを預かり、ここまで死守してまいりました」
「そういう顛末(てんまつ)であったか」
 信玄は死地と化した先陣の方角へと視線を向ける。
 ─―豊後守が騎馬で突撃とは……。この短い間に、われらの先陣がそこまで敵に蹂躙(じゅうりん)されていたというのか……。
「……お、御屋形様、ど、どうか、これを」
 石黒五郎兵衛は血に染まった旗にくるまれた首級を差し出す。
 それから、大地を拳で叩きながら泣き崩れる。
「うむ……」
 信玄は深い溜息を漏らす。
「……よくぞ、首級を持ち帰ってくれた。大儀であった。そなたらは、すぐに手当を受けるがよい」
「御屋形様……」
 成瀬正一が声を震わせる。
「いかがいたした?」
「道鬼斎殿から御伝言がござりまする」
「……申してみよ」
「はっ。道鬼斎殿曰(いわ)く、わが一命を賭して敵を押さえますゆえ、御屋形様と旗本はどうか海津の城へお入りくださりませ。さように強くお願い申し上げよ、と」
 それを聞き、信玄の面持ちがにわかに険しくなる。
「菅助がまことにそう申したのか?」
「はい」
「一命を賭して、とか?」
「……はい。一言一句、違(たが)えずにお伝えせよと」
「さようか……」
 信玄は腕組みをして眼を瞑(つむ)り、しばし思案する。
 ─―菅助が一命を賭してまで、この身に海津城へ退けと具申するほど、いきなり危うい戦況に陥ったというのか……。
 それから、二人に言い渡す。
「確かに聞いた。早く手当をいたせ」
「はっ。失礼いたしまする」
 成瀬正一が石黒五郎兵衛に肩を貸し、旗本を後にした。
 入れ替わりに、またしても伝令が駆け込んでくる。
「御注進! 山本道鬼斎殿、無念のお討死にござりまする!」
 ─―菅助、お前までもが……。
 信玄は身動(みじろ)ぎもせず奥歯を搔みしめる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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