第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
七十六
典厩(てんきゅう)様、無念の御討死にござりまする!
深手を負った初鹿野(はじかね)忠次(ただつぐ)が、第二陣の使番、阿部(あべ)勝宝(かつよし)に支えられながら叫ぶ。
それを聞き、武田義信(よしのぶ)は呆然(ぼうぜん)と立ち竦む。
─―今しがた、道鬼斎(どうきさい)と豊後守(ぶんごのかみ)の討死を知らされたばかりだというのに、叔父上までもが不覚をとられたというのか……。
思わず天を仰ぎ、奥歯を嚙みしめる。
─―敵の追い落としを迎え撃つはずの先陣で、いったい何が起こったというのだ?
第二陣全体が奇妙な空白に包まれ、義信と同じく誰もが言葉を失い、金縛りにかかったように硬直していた。
まるで時が凍結されてしまったかのように慌ただしく走り回っていた使番の者たちまでが一様に足を止めている。
武将として最も尊敬し、身内の中で最も慕っていた叔父を失った衝撃は大きく、義信は胸の裡(うち)から何か大切なものを抜き取られたような気がした。
その虚無感が、己の意識を希薄にし、大地に軆を縛りつける。
─―されど、動かねば……。
義信は鎧の胸板を何度も拳で叩く。
─―そして、この後のことを考えねばならぬ……。
第二陣を預かる大将として、ただ竦んでいるわけにはいかなかった。
無理にでも頭を働かし、次の行動を起こさなければならない。
状況から考えれば、先陣の大将三名と多くの兵を失い、八幡原にいる武田勢の本隊は未曾有(みぞう)の危機に瀕(ひん)している。
前方から風に流されてくる騒音と怒声は、まだ途絶えていない。
つまり、残った先陣の将兵たちが、まだ必死で戦っているという証左だった。
─―ここで漫然と敵を待つようでは、命を尽くした先陣の者たちに申し訳が立たぬ! せめて、われら第二陣だけでも打って出ねばならぬ!
義信は大将としての肚を括り、使番に命じる。
「勝宝、そなたは御屋形様の旗本へ行き、詳細を報告してくれ。奇襲は失敗し、妻女山にいた越後勢が攻め寄せてきた、と」
「承知いたしました!」
阿倍勝宝が頷く。
「われら第二陣はこれより先陣の救援に向かうが、いざとならば旗本は海津城へ退くこともお考えくだされと御屋形様に伝えてくれぬか」
「……はい、わかりました」
「われらと先陣が踏ん張り、兵部たちの奇襲隊が戻って挟撃すれば、まだ巻き返せるかもしれぬ。されど、決して予断を許さぬ状況だ。旗本に撤退してもらうことも考えておかねばならぬ。しかと頼んだぞ」
義信は使番の阿倍勝宝を送り出した。
「忠次、そなたはここで手当を受けよ」
「……有り難き……仕合わせ」
自力では動けなくなった初鹿野忠次は、第二陣の足軽たちに支えられて帟(ひらはり)に向かった。
義信は愛駒の背に飛び乗り、将兵に命を下す。
「これより先陣の救援にまいる! なるべく多くの者を救うぞ!」
自ら槍を手に馬の腹を蹴る。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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