第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「御意!」
二人は武田勢本隊の中で信玄が陣取っている場所を探索する役目を負っている。
「なるべく敵を避けながら動け。そなたらの旗がなければ、晴信の居場所がわからなくなる」
政虎が言ったように、平賀頼経と山吉盛信が敵の総大将を見つけたならば、その両脇で三間槍の先に括りつけた毘の一文字旗を振ることになっている。
つまり、二人の振った旗の真中に敵の総大将がいるということである。実に重要な合図だった。
平賀頼経と山吉盛信が愛駒に飛び乗り、緊張した面持ちで駆け出す。
「宇佐美、後は景持の伝令を待つだけであるな」
そう言ってから、政虎は微かな笑みを浮かべた。
「はぁ……」
宇佐美定満の役目は、甘粕景持の殿軍が退陣してくる機で、総軍を撤退に導くことである。
犀川で退路を確保している直江景綱と合流し、残った兵を無事に越後への帰路に向かわせなければならない。
そういった意味から、政虎は「景持の伝令を待つだけ」と言ったのである。
─―されど、その時、御屋形様はどこにおられるつもりなのであろうか?
定満は胡乱(うろん)な眼差しで総大将の不敵な笑みを見つめていた。
そこに甲冑(かっちゅう)の触れ合う音が響き、新たな伝令が駆けつける。
「殿軍が、殿軍が敵に崩されましてござりまする!」
甘粕隊の使番からその言葉を聞き、宇佐美定満の背筋が凍りつく。
「退陣が始まったのではなく、景持の隊が総崩れだというのか?」
老将の問いに、使番は苦しげに俯く。
「……し、殿軍が崩れたと、ただ、さようにお伝えせよと……御大将より命じられておりまする」
「御屋形様……」
宇佐美定満は呆然とした面持ちで呟く。
「景持からの伝令が来たならば、是非もなし。そろそろ戦の手仕舞いを始めねばなるまい」
上杉政虎は静かな口調で答える。
そこへ、さらに手負いの千坂景親が駆け込んでくる。
「御注進にござりまする! 火急の件により、ご無礼をお許しくださりませ。われら殿軍の陣が破られましたゆえ、ここからお退きくださりますよう、お願い申し上げまする! 奇襲に廻っていた武田の寄手が迫っておりまする!」
千坂景親は足軽の撤退を指揮してきた甘粕隊の副将である。
「景持はいかがいたした?」
宇佐美定満が眉をひそめて訊く。
「御大将は自ら五百余騎を率い、敵中突破を敢行なされておりまする。その隙に足軽隊を撤退させよと申され……」
片膝をついた千坂景親が言葉を詰まらせる。
「たった五百騎で敵中突破だと……。して、景持の生死は?」
「……わ、わかりませぬ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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