よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 囲碁は陣取りの戦略を考える遊技として多くの武将たちに愛好されていたが、信玄は戦場の陣中にも碁盤と碁石を持ち込むほどの碁好きだった。
 その良き相手が海津城をまかせた香坂昌信だったが、離れてしまったことで身近な好敵手を失ってしまった。
 それで弟の信繁に囲碁を覚えさせたのだが、まだ信玄どころか、昌信の実力にも遠く及ばず、張りつめた勝負にはならない。
 仕方なく、信玄は弟の手筋のどこが悪かったのかを指導し始める。
 この時はまだ、そんな余裕があった。
 一方、小県(ちいさがた)の砥石(といし)城で烽火の知らせを受けた真田幸隆は、使番(つかいばん)である長男を海津城へ向かわせる。
「信綱、地蔵(じぞう)峠を使い、急ぎ海津城へ行ってくれ。御屋形様に詳細な続報をお届けするためだ」
「承知いたしました、父上」
 真田信綱が大きく頷いた。
「越後勢の動き次第では、われらと塩田(しおだ)城の兵部(ひょうぶ)殿も救援に出向かねばならぬ。まずは、敵方の布陣を確かめ、景虎の狙いを見定めることだ」
「わかりました」
 信綱はすぐに砥石城を出立し、山間の隠し道を使って海津城へ向かった。
 そして、八月十五日になり、上杉政虎の率いる越後勢が善光寺横山(よこやま)へ着陣する。物見の目算によると、総勢は二万弱ということだった。
 意外にも、越後勢は犀川北側にある城群には眼もくれず、善光寺まで進軍してきた。
 それを確かめた香坂昌信は、敵の標的がほぼ間違いなく海津城であると考えた。
 ――春山城を一顧だにしなかったか……。ならば、善光寺の横山に本陣を構え、この城を囲む軍勢を差し向けるつもりであろう。城攻めの軍勢を八幡原(はちまんぱら)に陣取らせ、丹波島(たんばじま)の渡しと寺尾(てらお)の渡しを押さえるような策か。
 海津城の守将は、そんな予測を立てる。
「すぐに春山城から兵と兵粮を引き揚げ、尼巌城へ入れてくれ」
 香坂昌信が副将の小幡光盛に命じた。
「承知いたしました」
「われらはこれより籠城の態勢を取る。物見と透破からの連絡は、逐一、それがしに知らせてくれ。源太郎、そなたはこの身と行動を共にし、敵の出方がわかり次第、砥石城へ戻ってくれ」
「わかりました」
 真田信綱が頷く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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