よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 跡部(あとべ)信秋(のぶあき)の下で、透破、乱破(らっぱ)、突破(とっぱ)の三ッ者が敵方の動向を詳細に探りながら、川中島で活動していた。
「景虎に何か動きがあったか?」
 思いの外、穏やかな声で信玄が訊く。
「いえ、それが……」
「どうした?」
「不可解なことに、敵方は妻女山へ登った後、まったく動きがないという報告にござりまする。海津城へ兵を送るでもなく、あの山に陣取ったままということ。地蔵峠を抜けた早馬も無事に城へ行き着いておりまする。つまり、背後にも敵の伏兵は見つかっておりませぬ」
「さようか。ならば、しばらく、こちらの動きを静観するつもりかもしれぬな」
 信玄の呟きに、信繁が眉をひそめながら訊く。
「わざわざ、われら本隊の出陣と川中島到着を待つ肚(はら)づもりであると?」
「いや、到着を待つかどうかはわからぬ。本隊が動き始めた途端に海津城を囲むつもりかもしれぬし、われらが川中島へ着く直前、これ見よがしに城を叩くつもりかもしれぬ。越後にも軒猿(のきざる)という忍びの一団がいると聞く。向こうもそれなりの間諜(かんちょう)を放ち、われらの動向を細かく探っているならば、われらがいつ何時、かの地に着くかを読むことができる。わざと城攻めを遅らせておき、救援に駆けつけた本隊がすんでのところで間に合わぬような機で城を潰すような策をとるやもしれぬ。われらの鼻柱を折るためにな。さすれば、勇んで駆けつけながら、城の救援が間に合わなかったわれらの本隊を失意のどん底に叩き落とすことができる」
「相手の士気を根こそぎ奪う、えげつない策にござりまするか……」
「典厩、余が景虎ならば、それくらいの芸当を見せてやろうと考えるということだ。されど、あ奴はさような謀計を使うまい。人一倍、世間への体裁を気にする漢だからな。おそらく、まことに動かぬ肚づもりなのであろうて」
 信玄が窓の外を見つめたまま、独言(ひとりごと)のように呟く。
「なにゆえ、兄上はさように思われまするか?」
「なにゆえと問われても、確たる理由などあらぬ。ただ、そんな気がするだけだ」
 それは過去三度にわたって上杉政虎と干戈(かんか)を交えた総大将の勘であり、戦いから透けて見える相手の本性から推察した感想だった。
「兄上、実は、ご報告いたすべきかどうか迷っていた件がありまする。されど、今の話を聞き、あえて申し上げまする。物見の報告によれば、夜になると海津城の戌亥隅櫓から見える妻女山の山頂で、必ず琵琶の音が響いているそうにござりまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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