第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
唯一残念なのは、大事な顔である鬼美濃(おにみの)こと原(はら)虎胤(とらたね)がいないことだった。
さらに若き侍大将たち、馬場信房、原昌胤(まさたね)、工藤(くどう)昌豊(まさとよ)、工藤祐長(すけなが)、甘利昌忠(まさただ)、広瀬(ひろせ)景房(かげふさ)、横田(よこた)康景(やすかげ)、秋山信友(のぶとも)、飯富昌景(まさかげ)らの面々も同席していた。
信玄は並んだ将たちを見回し、重々しく口を開く。
「皆が揃ったところで評定を始めたいと思う。まず、敵方の動きから報告してもらう。では、典厩、頼む」
口火を切ってから、弟の信繁に軍議の取り仕切りを任せる。
畳二枚分の板に善光寺平の地勢が描かれた大地図が置かれ、信繁は細竹の先で指図しながら、越後勢の動きを説明し始める。
一同は真剣な面持ちで地図を覗き込み、話に耳を傾けていた。
妻女山布陣の段になると、途端に小首を傾げる将が増えてくる。
「われらがここまで進軍してきたことは、もう敵方にも知れていると思う。されど、今もって越後勢は最初に布陣した場所から動いておらぬことに変わりはない」
信繁はここ数日の情報を報告し終えて一同を見渡す。
どの顔も深く眉をひそめていた。
「さて、この上田から川中島のどこに布陣いたすかということが最も重要な議題になると思う。まずは皆の忌憚(きたん)なき意見を聞かせてもらいたい」
信繁が具申を募る。
信玄の方針は、己の軍略を一方的に家臣たちへ押しつけないことだった。
評定の場で自由に献策させ、それを己の描いた策と照らし合わせていく。
もちろん、最後の決定は自ら下し、逆らうことは許されないのだが、それまでは闊達(かったつ)に意見が飛び交うことを好んでいた。
それゆえ、武田の軍評定は次第に熱を帯び、様々な献策が飛び交って紛糾することも多かった。
今回の評定で最初に意見を言ったのは、飯富虎昌である。
「御屋形様、典厩殿から話をお聞きしても、それがしにはさっぱり訳がわかりませぬ。毘沙門天(びしゃもんてん)の名を騙(かた)るあの小童(こわっぱ)は、いったい何がやりたいのでありましょうや?」
関東管領となった若き英傑をあっさり小童と切り捨てた。
その物言いに、将たちの間から忍び笑いが漏れる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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