第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「四郎、息災であったか?」
「御父上様……」
勝頼が顔を上げ、信玄を見つめる。
「どうした?」
「……この身は昨年の節句で元服いたしまして、もう四郎ではありませぬ。乳臭き幼名ではなく、どうか勝頼とお呼びくださりませ」
前髪立ちが取れたばかりの若武者は、頬を紅潮させて訴える。
勝頼は今年で齢十六となっていた。
「さようであったな。すまぬ、すまぬ。勝頼、元気そうでなによりだ」
信玄は目を細めて四男を見る。
諏訪御寮人と同じく、この忘れ形見を溺愛していた。
しかし、正室の三条(さんじょう)の方(かた)と嫡男の義信がいる手前、躑躅ヶ崎館で一緒に暮らすことはできなかった。
「有り難き御言葉にござりまする」
「兵術の稽古は、進んでおるか?」
「はい。毎日、保科と稽古しておりまする」
「うむ。槍弾正(やりだんじょう)の稽古は厳しかろうが、それについてゆけるならば大きく成長できるはずだ。精進せよ」
信玄は槍弾正の異名を持つ保科正俊に向かって頷く。
「御父上様、勝頼も元服したからには、初陣のご下命を授かり、こたびの御出陣に同道いたしとうござりました」
「いや、こたびの戦は難しくなる。そなたの初陣としては、少々荷が重い。別の機会に初陣の時がやってくるゆえ、それまで稽古を積んでおけ」
「……はい。されど、御父上様と一緒に出陣なさる兄上様が羨ましく思えまする」
勝頼は俯(うつむ)きながら口を尖(とが)らせる。
嫡男の義信は今年で齢二十四を迎え、すでに侍大将として一軍を率いているが、その初陣は七年前の知久平(ちくだいら)城攻めだった。
「勝頼、焦らずともよい。そなたには来年、正式に諏訪家の名跡を嗣(つ)がせようと思うておる。それゆえ、初陣はその後だ」
父から名跡を嗣ぐ話を聞き、勝頼は瞳を輝かせる。
「はい、有り難き仕合わせにござりまする」
「されど、こたびはしばし、この正俊を父が借りていくぞ」
信玄は保科正俊を扇で指す。
この漢は信濃先方(さきかた)衆の一人であり、類い希(まれ)なる槍の使い手である。それゆえ、家中では真田幸隆の「攻(せめ)弾正」と並び、槍弾正という異名で呼ばれていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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