第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
六十七
海津城の西側一帯から、幾筋もの黒煙が立ち上っている。
それは越後勢の仕業ではなく、急を知らせる烽火(のろし)でもなく、海津城の武田勢が赤坂山の麓から松代清野の一帯を地焼きしたものだった。
地焼きとは「自焼き」とも言われ、城下に自ら火を放って辺りを焼き尽くす戦術である。
一見、暴挙とも思えるような行為にも、それなりの理由があった。
――去る十六日に景虎(上杉政虎)が妻女山へ布陣してから、すぐに寄手を放ってくるものと思うていたが、越後勢はまったく動きを止めた。しかも、この四日間、毎夜にわたり酒宴の余興の如く琵琶と謡が響いてくる。まるで、われらを嘲笑うように……。
海津城の守将、香坂昌信は上杉政虎の酔狂な振舞に業を煮やした。
そして昨日、八月十九日に武田勢本隊が出陣したという烽火の朗報を受け、赤坂山下から松代清野の一帯に火を放つことを決意する。
透破の諜知により、越後勢は海津城の西側、赤坂山と清野出埼と呼ばれる高台に二つの軍勢を配していることが判明していた。
もしも、城に寄せてくる敵勢があるとすれば、この二隊だと思われた。
そのため西側の見晴らしを良くし、空家などが敵方の拠点とならないように、自ら焼き尽くしてしまったのである。
相手より劣る兵数で城を守るためには、なかなか有効な手段だった。
そして、地焼きには、もうひとつの意味もあった
それは「城を攻められても絶対に屈しない」という敵方への意思表示である。
自ら退路を断ち、最後の一兵に至るまで戦うという覚悟を表すものだった。
――これで遅くとも五日以内に、御屋形様の本隊が川中島に到着なされる。それまでならば、この一命を賭して籠城を保つ自信がある。景虎は御屋形様を釣り出すための生餌の如くわれらを思うているのであろうが、決して城を捨てて逃げたりはせぬ。それが武田の要城を預かった将の矜恃(きょうじ)だ!
香坂昌信は上杉政虎への意趣返しで地焼きを敢行した。
ただし、ただの意地ではなく、いざという時の手も打ってある。
尼巌城との連繋を強化し、いざとなれば春山城まで退き、そこを足場に撤退する策まで考えていた。
背後の隠道へも頻繁に物見を出し、伏兵の存在がないことを確認している。陽が沈んでからは、夜目の利く透破にその役目を託した。
日暮れ時となり、香坂昌信は副将の小幡光盛と一緒に戌亥隅櫓(いぬいすみやぐら)へ上る。
「本日もこの城を肴に酒盛りをするつもりか」
昌信が妻女山を見上げ、忌々しそうに呟く。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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