第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
軍議は煮詰まったと判断し、信繁は指図のための細竹を差し出す。
「兄上、直入にお訊ね申し上げまする。われらはどこに布陣するのがよいとお考えになっておられまするか?」
その問いを聞き、信玄は地図に歩み寄り、細竹を受け取る。
「そうだな。明日の払暁にここを出立いたし、明後日には川中島へと入る。そして、陣を布く場所は、この辺りがよかろう」
細竹の先はゆっくりと川中島を進んで行き、地図上の一点で止まる。
それを見た一同は小さく息を呑んだ。
誰もがまったく予想もしていなかった地点が指図されており、驚愕(きょうがく)だけが評定の場を包んでいた。
「茶臼山(ちゃうすやま)……」
さすがの信繁も食い入るように細竹の先を見つめる。
信玄が示したのは、妻女山の西側に位置し、ちょうど反対側正面にあたる山の頂だった。
そこは篠ノ井の茶臼山と呼ばれている。
「……まことにござりまするか、兄上」
それは越後勢の不可解な布陣を知った時と同じ種類の驚きだった。
「敵が物見遊山の気分でおるならば、われらも遊山に付き合うてやろうではないか」
信玄が冷たい笑みを浮かべる。
家臣たちがぞっとするような笑顔だった。
――兵法軍略の腕比べならば決して負けぬ。
そんな表情に見えた。
「戯言(ざれごと)はさておき、敵の思惑が定かにならぬならば、敵とまったく同じ形の布石を打つという手もある。いわゆる、真似碁の極意というやつだ。茶臼山から正面の妻女山の布陣を眺めれば、少しは敵の思惑も明らかになるであろうて」
信玄は誰も考えつかなかった布陣の策を描いていた。
「どうであるか、皆?」
信繁は一同を見渡す。
皆は無言で頷いており、反対の意見はなかった。
「では、明日の払暁に塩田城を出立。室賀峠を越え、明後日には川中島の茶臼山に布陣いたす」
信繁が言い渡す。
「これにて評定を仕舞いといたしまする」
こうして奇策に対して奇策をぶつける武田勢の布陣が決まった。
まさに川中島で虚実の真髄をかけた駆け引きが始まろうとしていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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