第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
さらに、上田原の辺りで深志城周辺の軍勢が駆けつけるのを待たなければならない。
――本隊をまとめるのに、二日。甲斐の将兵を加えながら諏訪まで進軍いたすのに、二日。小県の上田まで進み、他の軍勢を集めて総軍とするのに、あと二日。越後勢の布陣を確かめ、いずこかへ陣を布(し)くか決めるには、丸一日かかるであろう。川中島で一戦交えるためには、最短で考えても、明日より七日間を要する。景虎が本気で海津城に襲いかかったならば、昌信が一命を賭しても十日間、耐えられるかどうか……。まことに退却の策を封じられているならば、われらの救援は、まず間に合わぬ。
冷静に脳裡で戦の手配りを算じてみると、最初に感じたよりも状況は遥(はる)かに切迫していた。
川中島までの道程。その距離、およそ四十二里(百六十八`)。
善光寺平における武田方の弱点はすべて、そこに集約されている。
越後の春日山(かすがやま)城から川中島に進軍するには、たったの二日もあれば充分だった。当然のことながら、援軍の要請や兵粮の補給などの兵站(へいたん)も短い。
しかし、甲府から大軍を引き連れて出張るには、三倍以上の日数がかかる。
それゆえ、先に戦を仕掛ける時は決定的な不利とならないが、仕掛けられた時は地の利が敵方に働くのである。
――妻女山への布陣という面妖な布石で、完全に先手を取られたか……。
そう思った途端、胸中が激しくざわつき始める。
己の得意な囲碁に例えるならば、局面は一気に急場を迎え、しかも先の見えない捻り合いのような戦いが始まろうとしていた。
肝の据わった信玄でさえも、さすがに平静を保つ余裕はなかった。己の動揺を収めるべく、ゆっくりと息吹を繰り返す。
そこへ、嫡男の武田義信(よしのぶ)が現れる。
「父上、失礼いたしまする!」
「おお、義信か」
「景虎が川中島へ出張り、奇妙な布陣をしたと聞きました」
「余も先ほど知ったところだ。妻女山へ登ったらしい」
信玄は扇の先で地図を示す。
「ならば、海津城が危ないのではありませぬか。それがしを塩田城へ行かせてくださりませ。兵部と一緒に救援にまいりまする」
義信が真剣な表情で願い出る。
「相手は一万三千だ。そなたと兵部だけの救援で、どうにかできる数でもあるまい。総軍で動かねばならぬ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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