第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「確かに……」
「目先の合戦だけに酔う景虎は、村上義清の如(ごと)き愚昧者を押し立て、さも己に大義があるかのような振舞で攻めてくるが、結局は北信濃を自ら安寧に治めようという気がない。気の向いた時に、われらの邪魔立てをするだけの戦いを仕掛け、好きなだけ暴れた後に満悦面で帰ってゆく。まるで地獄からわいてきた餓鬼の大将だ」
信玄は呆(あき)れたように笑う。
「当然のことながら、戦の先に領国の豊かな治政を見据えるわれらは、守らねばならぬものが多くなるゆえ、その重みを背負っている分だけ不利になるというわけだ。しかも、越後の者どもは春日山城からたった二日で善光寺平まで出張ってくることができる。かたや、われらはどれほど急いでも六日はかかろう。なんとも歯痒(はがゆ)いことよ。それは仕方ないが、かといって餓鬼の如き気まぐれで戦いを仕掛けてくることを、いつまでも許しておくわけにはいくまい。それゆえ、こたびは景虎が二度と善光寺平へ出てきたくなくなるように仕置してやらねばならぬ」
「仰せの通りにござりまする。すでに信濃での大義は、われら武田にあると、北信濃に根を張る大半の者がわかっているかと」
「そうであると願いたいな」
信玄が蔀を閉じながら言う。
「それよりも、問題はこの風雨よ。このまま颱風(たいふう)となるようならば、出陣の先延ばしも考えねばならなくなる。かような荒天の中を行軍すれば兵たちが消耗し、善光寺平に着く前に負けとなりかねぬ。さりとて、出陣の延期も歯痒い。越後勢と対する前に、まずはこの天の気が試練となったか」
「兄上、これは一夜野分(のわき)にござりまする。明日の朝には、必ずや風雨も止(や)んでおりましょう」
「信繁、なにゆえ、さように思う?」
「なにゆえと問われても、確たる理由などありませぬ。ただ、天は決して武田を見放しませぬ。そんな気がいたすだけ」
「ふふ、そなたの戦勘か。ならば明朝、からりと野分晴れになった暁には、瑞兆(ずいちょう)を呼び寄せた功により、何か褒美を取らせよう」
「では、遠慮なく、兄上の来国長(らいくになが)を所望させていただきまする」
信繁が望んだ来国長とは、信玄の佩刀(はいとう)のことである。
来派と呼ばれる刀工は、鎌倉から南北朝の治世にかけて幕府に重用され、京のある山城(やましろ)国で名を為(な)した一派である。その一門の中で、来国長は建武中興(けんむのちゅうこう)の頃に都の騒乱を避け、摂津(せっつ)の中島(なかじま)に移住して鍛刀(たんとう)したことから「中島来(なかじまらい)」とも呼ばれている。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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