第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「兵部、なにゆえ景虎があそこに居座るのか、余にもわからぬ」
信玄はそう言って笑う。
「さようにござりましょうて。坂東に出張っていたと思いきや、わざわざ越後くんだりから善光寺平へ出てきたと思えば、城も攻めずに遊山しておるという。お山の大将とは、まさにあの小童のことではないか。越後には愚鈍な総大将を諫める忠臣が一人もおらぬということにござるか? のう、皆。さように思わぬか?」
飯富虎昌はあからさまに敵を嘲った。
今年で齢五十八となったこの漢は、亡くなった板垣信方と甘利虎泰に次ぐ最古参であり、二人が存命中は鬼美濃の異名を持つ原虎胤を含めて武田の四天王と呼ばれていた。
原虎胤は昨年の割ヶ嶽城攻めで負傷してから隠居してしまった。
だが、飯富虎昌はたった一人だけ残った武田最強の四天王であり、赤備衆を率いる現役の猛将である。
「菅助、御主(おぬし)は海津の城を縄張りしたのだから、あの辺りの地勢に詳しいであろう。妻女山とやらには、何か特別なものがあるのか?」
飯富虎昌は真顔に戻り、山本菅助に訊ねる。
「あの山への布陣は一見、自らの退路を捨てるが如き愚挙にも見えまするが、隠された意図がないとも申せませぬ。実は海津城と妻女山は表裏一体のものとなっておりまして、それを加味して考えれば、あながち愚挙と切り捨てることもできなくなりまする」
隻眼の足軽大将は地図を指しながら、妻女山の奥に連なる山岳と隠道のことを説明し始める。
さらに妻女山と海津城は背後は隠された山道で繋がっており、越後勢がそこに伏兵を回せば、城兵の退路を塞ぐことができることを示す。
同様に、小県から地蔵峠を抜けようとする武田勢の援軍を待ち伏せできることも付け加えた。
「市村の渡しにいる後詰の軍勢と挟撃して海津城を攻めれば、おそらく海津城の兵は全滅を免れませぬ。妻女山への布陣には、さような意味がありまして……」
山本菅助の説明により、妻女山への布陣が上杉政虎の酔狂ではないことが一同にも明らかになる。
信玄が考えていたことを、この老将がすべて代弁してくれた。
「されど、それほどの策を秘めているのならば、すでに海津城は跡形もなく潰されているはずではないのか?」
飯富虎昌は仏頂面で言い放つ。
「兵部殿の申されるとおりかと。されど、敵は山上からいっこうに動かぬという。それゆえ、まだ相手の真意が読めませぬ。なにやら、虚実の煙に巻かれているが如き心地にござりまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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