よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「それがしこそ、美濃守殿に矛先を向けていただき助かりました。それなりに緊張しておりましたゆえ」
「さようか。なあ、真田。鬼美濃と呼び捨てでも構わぬぞ」
「滅相もござりませぬ!?……されど、お許しいただけるのならば、鬼美濃殿と呼ばせていただけまするか」
「構わぬよ」
 原虎胤は微(かす)かに笑う。
「真田、そなたはわれらよりも村上義清を熟知しておるようだな。あの戦の後、そなたが御屋形様に具申した話を聞き、それを確信した」
「滋野一統(しげのいっとう)におりました時、何度か折衝したことがありまする。……いや、何度も騙(だま)されたと申すべきかもしれませぬ」
「ふっ、案外、正直な奴だな。まあ、これからの御屋形様には、そなたのような漢が必要となる。期待しておるぞ。今度、一献酌み交わそう」
「有り難き仕合わせにござりまする。是非、お願いいたしまする」
 真田幸綱は深く頭を下げる。
 再びその肩を叩き、原虎胤は黙って立ち去った。
 主君だけではなく、残った重臣たちも敗戦から立ち直るために己のできることを探し、必死で後輩の者たちを鼓舞しようとしている。そのことは新参の者たちにも、ひしひしと伝わっていた。
 この評定が終わってから、跡部信秋はすぐに腹心の蛇若(へびわか)を呼ぶ。
「蛇若、小笠原の者どもに流言蜚語の計を仕掛けるぞ」
「下社に陣取っている仁科盛能の耳に必ず入るよう、三村長親と山家昌治が武田家の密使と会うたようだという風聞を広めよ」
「下社の春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)に草の者を植え付けておりますゆえ、その者たちを使えば造作もないかと」
 蛇若が言った草の者とは、透破衆に協力する地の者たちのことであり、味方や敵の間諜(かんちょう)を行っている。透破のように動き廻らず、普段は領内や敵地に根付いて暮らしていた。
「われらの下拵(したごしら)えがやっと実るか」
 跡部信秋は口唇の右端を歪めて笑う。 
「岡谷の三村長親と山家昌治には、仁科盛能と小笠原長時と戦の方針を巡って申し結んだという蜚語を聞かせよ。さらに仲違(なかたが)いした仁科盛能が神長官(じんちょうかん)の守矢(もりや)信実(のぶざね)を通じて御屋形様に接触を試みているという風聞を流せ」
「承知いたしました」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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