よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 こうした信憲の不行跡が続いたため、晴信は七箇条にわたる詰問状を突きつけ、諏訪郡代を解任する。そして、断腸の思いで長禅寺に蟄居させた。
「父の威光をかさにきて浮かれる者がいると思えば、藤蔵(とうぞう)のように齢十九の身空でありながら必死で役目を務めようとする家臣もいる。扱いが同じでは、他の家臣たちにも示しがつかぬ」
 晴信が言った藤蔵とは、やはり上田原で討死した甘利虎泰の嫡男、甘利左衛門尉(さえもんのじょう)昌忠(まさただ)のことだった。
 この者も晴信に両職をめざせと激励され、父の同心や被官を引き継いで甘利家存続のために踏ん張っていた。
 甘利昌忠と板垣信憲は同じ武田家重臣の子息でありながら、正反対の存在だった。
「諏訪の者どもにしても同様であろう。余の力が落ちたとみれば、すぐに離反していく。不甲斐ない寄親が、寄子から見放されるのは武門の常だ」
 晴信は睫毛(まつげ)を伏せながら言う。
 真田幸綱は俯(うつむ)き加減でその話を聞いていた。
「すまぬ、つい愚痴をこぼしてしもうたな。で、そなたの暇乞いのことであったな」
「暇乞いというよりも、しばしお役目を外していただき、少しの間、それがしに時をいただけぬかというお願いにござりまする」
「自由な時を得て、何をしたい、真田」
「単身で小県に忍び入り、砥石城攻略の糸口を探りとうござりまする」
 真田幸綱がきっぱりと言った。
「……単身で小県に忍び入る?」
 晴信が思わず眉をひそめる。
「はい。小県にはまだ村上に従っている滋野一統の縁者も多く、手下を連れて露骨には動けませぬ。されど、それがしの身ひとつならば、浪人にでも化ければ何とかなりましょう。砥石城を切り崩す糸口を思いつきましたゆえ、どうしても手繰(たぐ)ってみとうござりまする」
「危なくはないのか?」
「……命にかかわるやもしれませぬ。されど、すでに覚悟は決めました。もしも、それがしが戻らなかった時は、残った同心の者をお願いいたしまする」
「真田……」
「砥石城を何とかせねば、村上義清を小県から追い払うことはできませぬ。されど、それは裏返せば、砥石城さえ奪取できれば、あの城を足場に小県どころか、村上を埴科から追いやることができるということにござりまする。武田家は何としても砥石城を奪わねばならぬと存じまする」
「なるほど」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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