よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 気が付くと、太刀を片手に愛駒を走らせており、敵陣に一騎駆けで入っていた。総大将の闘気に煽(あお)られた味方の軍勢も敵を薙(な)ぎ倒し、戦いは圧勝に終わる。
 捕縛された黒田秀忠は、またもや景虎に泣きすがった。
「……こ、今度こそ、まことに国外へ出ますゆえ、どうか、命だけは、お助けを」
 景虎は微笑を浮かべ、ゆっくりと顎を引く。半眼の相で、この哀れな外道を見下ろしていた。
「国外ではなく、地獄へ堕ち、たっぷりと後悔いたすがよい」
 言い終わらないうちに右手の白刃が煌(きら)めき、血飛沫(ちしぶき)を上げて黒田秀忠の首が宙を舞う。
 それだけではなく、後の禍根を断つために黒田の一族をことごとく切腹させた。
 景虎は恐るべき胆力で討伐をやり遂げ、越後全土には「毘沙門天の生まれ変わりの如き麒麟児(きりんじ)がいる」という風評が広まった。
 しかし、当の本人はこの戦いに少しばかり後ろめたい思いを抱いていた。謀叛を起こした黒田の一族を滅してしまったことに対する後悔ではない。
 極限まで己の集中を高めた戦いの中で、はっきりと陶酔と愉悦を感じてしまったからである。
 この合戦が終わってから、景虎は始めて勝利の酒を口にした。祝いのためではなく、そうしなければ昂(たか)ぶった神経と火照(ほて)った軆を眠らせることができそうになかったからである。したたかに酔い、気絶するように眠った。
 戦いの中には、魔性の陶酔と愉悦が潜んでいる。そのことを身をもって知り、景虎は以前にも増して己を強く戒めるようになった。
 その果てに辿りついた境地が、「我は依怙(えこ)にかられて弓箭(きゅうせん)を取らず。されど、筋目(すじめ)を持ってならば、何方(いずかた)へも与力をいたす」という信条だった。
 そうした姿を見て、上杉定実は家督相続の仲裁に入り、景虎の擁立に尽力したのである。
 そして、天文十九年(一五五〇)二月、持病のため上杉定実が逝去する。自らの嫡男はおらず、「跡を景虎に託す」と遺言していた。
 そして、室町幕府の第十三代公方、足利(あしかが)義輝(よしてる)が長尾景虎に越後守護を代行することを命じた。
 こうして、齢二十一の若武者が、新たな越後国主としての地位を認められたのである。
 この漢が後に晴信と生涯にわたる宿敵となっていくのだが、今はまだ二人ともそのことを知る由もなかった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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