よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 源太郎が祝箸を手に取って打鮑の一片を食すと、神人が御神酒(おみき)の入った長柄(ながえ)の片口(かたくち)を差し出す。大紋直垂の袖を払い、源五郎はうやうやしく両手で三重盃のひとつを取り、深く一礼した。
 そこへ長柄所役(しょやく)の神人が御神酒を注ぐ。ここにも仕来(しきた)りがあり、長柄所役は「そび、そび、ばび」と心中で唱えながら、三回に分けて酒を注がなければならない。
 そびとは鼠尾のことであり、まず二回は鼠(ねずみ)の尾ほど細く静かに酒を注ぐ。ばびは馬尾のことであり、縁起を担いで最後だけは太く長く酒を注ぐ。
 その後は同じ要領で、勝栗を食して三注一献、結昆布を食して三注一献となり、三つの盃すべてを飲み干すのである。
 父の幸綱と母の於雲(おくも)。幼い二人の弟、徳次郎(とくじろう)と源五郎(げんごろう)。伯父の河原隆正(たかまさ)、矢沢頼綱などが揃い、その晴姿を見守っていた。
 そして、すべての儀が終わった後、幼名が烏帽子名に改められる。
「真田源太郎、そなたに信綱(のぶつな)の名を与える」
 晴信が重々しい口調で名を伝えた。
「本日から余とそなたは寄親と寄子となる。武田、真田の両家名を貶(おとし)めぬよう、精進せよ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 齢十五の源太郎は、晴れてこの日から真田信綱という乙名(おとな)となった。
 その様を、徳次郎と源五郎が眩(まぶ)しげに見つめていた。
 翌日、真田信綱は甲斐の府中へ向い、晴信の近習として仕えることになった。
 小県は諏訪、佐久と連係し、武田家の覇権が及ぶ。
 そのため、葛尾城の村上義清は何ら動きを見せなかった。
 そして、砥石城陥落の一報は埴科郡を駆け巡り、村上一門の中に動揺が起こる。
 真田幸綱は村上の属将だった大須賀(おおすが)久兵衛(きゅうべえ)を調略し、この者がいきなり村上方の狐落(こらく)城を攻めて城将の小島(こじま)兵庫助(ひょうごのすけ)を討取り、その首級を手宮笥に武田家へ寝返った。
 それを機に、村上方の諸将は雪崩(なだれ)の如く武田家へと走る。室賀(むろが)家、屋代(やしろ)家、石川(いしかわ)家などが降伏し、北信濃に長らく勢力を誇ってきた村上一門の結束が完全に瓦解した。
 村上義清の戦力は大きく削がれ、本拠である葛尾城さえが危うくなった。
 村上家崩壊の序曲は、砥石城の陥落から始まった。すなわち真田幸綱の類い稀なる謀計である。
 これにより、晴信はついに信濃の四分の三を掌中に収め、武田勢のさらなる快進撃が始まった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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